鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<160>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<160>
2013年3月13日「祈られながら」



聖書の言葉
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根をおろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。
(コロサイの信徒への手紙2章6〜8節)




 この度のマレーシア・クワラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴くことについては、多くの皆さんがお祈りくださっている。心から感謝している。大塚平安教会、横浜本牧教会、横須賀上町教会、三崎教会においてはそれぞれの週報で報告くださっている。2月17日には三崎教会礼拝の講壇に立たせていただいたのであるが、既にその日の週報で報告されており、礼拝後に説明を加えながらご挨拶をしたのであった。また、3月10日の横須賀上町教会礼拝の講壇に立ち、礼拝後においても直前に迫っているクワラルンプール行きが紹介されたのであった。横浜本牧教会の教会員の方が週報をお読みになって知られたことであるとしてお手紙をくださった。いろいろな方々が週報を読まれて、お便りくださり、お祈りしていますとのお励ましをいただくのである。多くの方々からお励ましをいただいているが、一つのお手紙を紹介させていただく。
 「我が家の梅も雪が降っているかのように散っています。風は強いですが、春の気配になりました。いよいよ3月13日を目前にして、お荷物その他、さぞ何かとお忙しかった事でしょう。クワラルンプールで、先生を迎えられる教会の皆様はお幸せです。先生の誠実な牧会と、誰方にでも良く親切に接されるスミ夫人は、きっと喜ばれるでしょう。どうぞご夫妻がご健康を守られ、良い御働きをとお祈りしています。ご様子は、毎月百合子さんから伺うのを楽しみにしています。旅の平安をお祈りしながら、取り急ぎ。2013年3月10日、佐竹順子」。
 牧者として過分な評価をいただいているが、改めて示されているような姿勢で赴きたい。しかし、実は前回も記しておいたが、ボランティア牧師のお話をいただいたとき、隠退牧師として保養の意味で行かれたらどうですかということであった。マレーシアは住むには良く、多くの日本人が第二の人生として移り住んでいると言われる。物価も日本の三分の一ということで、楽な生活ができるようである。しかし、そうは言う者の、ボランティア牧師としても、一つの集会を担うことでは、牧師としての姿勢は変わらない。あまり保養とは言っていられないのである。願うことは、集会に集う皆さんと共に主に向う歩みが導かれることである。
 ところで、2月6日に転倒し、顔の左頬に5センチほどの創傷を作ってしまったことについては記している。また、逆さまつ毛の手術をしたことについても報告している。それらの処置は順調に回復し、今は完全に普通の生活になっている。もっとも左頬の傷は、しるしとなっているが、それもこの年の生き様として誇りにすることにしよう。昔、市川歌右衛門が扮する「旗本退屈男」の眉間には、三日月型の刀傷があった。それが早乙女主税介の証しであった。隠退退屈牧師の左頬の転倒傷は、鈴木伸治の証しである、ということにしておこう。



「隠退牧師の徒然記」として記してきたが、ひとまずここでお休みする。今度は「マレーシア滞在記」を記すことになるが、現地で書くか、三ヶ月後に公開するかは検討しているところである。