鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<141>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<141>
2013年2月1日 「暇であると言いながら」 



聖書の言葉
わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
(テモテへの手紙<一>4章10節)




 昨年、2012年9月1日をもって2011年6月1日から140回にわたり公開した「隠退牧師の徒然記」はひとまずお休みとした。9月10日から11月6日までスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子のもとに夫婦で赴くためである。55日間は瞬く間に過ぎ、帰国して12月1日から50回にわたり「『受難の門を見つめつつ』・バルセロナ滞在記」を公開した。それも2013年1月19日をもって終了することになる。バルセロナ滞在記は毎日公開していたので、50日で終わってしまった。暇な隠退牧師は、終わってからは何をすることもなく、読書と身辺整理、そして散歩をすることくらいなので、なんとなく気が抜けた思いであった。何かに思いを寄せて書いていないと気が済まない性質なので、「隠退牧師の徒然記」を再び記すことにしたのである。前回、公開した「隠退牧師の徒然記」は140回も記したので、冊子としてまとめるには上下巻二冊にして製本したのであった。限定一冊しか作成しないので、私の書棚にしか置かれていない。バルセロナ滞在記も近いうちに製本しておくことにしている。説教集第三週、第四集を発行する準備をしているので、暇であると言いながら結構忙しいのである。



野島の野島山。散歩をしながら、野島山と語らっている。
夕照橋が昔のことどもを思い出させている。



風もなく、平潟湾は波も無く、鏡のように輝いている。



 暇であると言いながら、キリスト教シニア・ホーム「神の庭・サンフォーレ」支える会協力委員長、スリランカ人のシルバさん家族を支える会の代表としての役割がある。そして毎月第二日曜日には横須賀上町教会の説教・聖餐式を担い、時々であるが三崎教会の講壇にも立たせていただいている。基本的には日曜日の礼拝は六浦谷間の集会として連れ合いのスミさんと礼拝をささげている。この礼拝にはときどき知人や家族が出席するので、この礼拝の意義を覚えているのである。そして、暇であると言っているものであるから、今年は3月中旬から6月中旬までの三ヶ月間、マレーシア・クワラルンプールの日本人教会のボランティア牧師として、連れ合いのスミさんと共に赴くことになっている。そのために情報を集めたり、2月5日と12日に横浜市立大学のエックステンション、公開講座「マレーシア」についての講義に連れ合いのスミさんと二人で受講することになっている。暇だと公言しつつ、しなければならないことが結構あるので、いつも連れ合いのスミさんから言われているのであるが、「暇である」と言わないことなのである。
 暇ではない一つのことを記録しておこう。年が明けて、去る1月10日に一人のご婦人から電話をいただく、しばらくは連れ合いのスミさんと話していたのであるが、私が応対することになる。生活上の諸問題が重なり、ここは聖書の言葉の指針をいただきたいと言われるのである。翌日の11日はクワラルンプール日本語教会員の方が所用で日本に来られるので、お会いしてお話を伺うことになっている。それでお電話をいただいているご婦人とは12日にお会いすることになったのである。東京世田谷からわざわざ自宅までお出で下さると言うのである。当日は京急線金澤八景駅まで来られたら電話していただき、車で迎えに出たのであった。午後2時頃来られ、2時間ほどして帰られた。お話の内容については割愛するが、来られる前に、生活上の諸問題に突き当たった場合の聖書の言葉をプリントしておいた。お帰りになるときに差し上げたのであった。日本聖書協会は聖書のネット版を作成してくれたので、早速取り入れている。必要な聖書を開き、プリントすれば良いわけである。それが伝道になるのであるから、ネット版聖書は大きな役割があるのである。
 ところでご来宅いただいたご婦人とは面識がないというのではなく、一期一会が与えられているのである。2011年12月20日秦野市にある「神の庭・サンフォーレ」のクリスマス礼拝及び祝会が開かれた。そこまで行くのであるから、少し足を伸ばして湯河原の敷島館で保養することにしたのである。一泊の保養であるが、そのことについては2011年12月24日のブログ「寛ぎのひとときを与えられ」と題して公開している。連れ合いのスミさんはどなたにも声をかけるので、いつの間にか一人の婦人と知り合いになっていた。この夫人は数日間連泊されているようである。ご家庭のいろいろな問題までお聞きしていたのである。それで帰るときに連れ合いのスミさんはその婦人に私を紹介したのであった。そのときはお話もできず名刺を渡しておいたのである。それだけの出会いであった。ところがそれから一年以上を経たとき、その方からお電話をいただいたのであった。一人で悩んでいないで、どなたかに聞いていただこうと思った時、私の名刺を探したのであった。
 今は隠退牧師として、教会の職務を持たないので牧会をしているのではない。しかし、わずかな出会いが、牧会の引き金になっている。牧会は所属する教会の群れを養うことであるが、隠退牧師の牧会は社会の人々の牧会と言うことになるのだろうか。