鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<142>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<142>
2013年2月4日 「最大限の力を出し尽くし」 



聖書の言葉
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ちより、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、各々に分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ(「慰めの子」という意味)と呼ばれていた、キプロス生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持ってきて使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録4章34節以下)




 今日は日曜日であり、礼拝をささげる日である。神様のお導きをいただき、私達夫婦が六浦谷間の集会として、連れ合いのスミさんとたった二人の礼拝であるが、このところでささげるお恵みをいただいている。12月23日のクリスマス礼拝には、私達の子供たちの星子や百合子と共に知人が出席され、実に9名の皆さんで礼拝をささげることができた。こうしてときには家族や知人が出席されるので、たった二人だけの六浦谷間の集会ではなくなっている。神様のお導きであると受け止めている。
 ところで今日の六浦谷間の集会における礼拝は、いつもは10時30分から始めるのであるが、9時から始めたのであった。今日は午後1時30分から、大塚平安教会において、井上フサ子さんの召天記念礼拝が開かれる。連れ合いのスミさんが出席することにしており、そのため礼拝を早めたのであった。井上フサ子さんは2012年12月15日、90歳で召天され、12月24日午前10時から大和斎場で仏式で告別式が行われたので、連れ合いのスミさんと共に列席している。仏式で行われたのはご家族の思いであるが、ご家族は井上フサ子さんが永年キリスト教信者であることは御存知であり、ご家族としても教会における葬儀を心に留めておられる。そこで、この度の召天者記念礼拝をささげ、井上フサ子さんを皆さんと共に偲ぶことになったのである。本来、私も出席するべきであるが、所用のためとして失礼した。




2012年12月24日、大和斎場で行われた井上フサ子さんの告別式。



 私がこの召天者記念礼拝に出席するなら、当然求められて井上フサ子さんの思い出をお話することになったであろう。だから責任を果たすために、このところで記しておくことにしよう。
 大塚平安教会在任の頃、日曜日の朝であるが、教会学校、子どもの教会の分級が幼稚園の教室で開かれているので、牧師として何らかのことをして教会の牧師室に戻ってくる。午前10時頃であると思う。牧師室に入った途端にある匂いを感じる。井上フサ子さんが来られたことを知るのである。井上フサ子さんは、大島のツバキ油を付けておられ、その匂いがあるところには井上フサ子さんがおられるのである。もしかしたら、と思いつつ卓上を見る。紙封筒が置かれている。また、例によってお心使いをいただいたのである。クリスマス礼拝や私の誕生日が近い礼拝の日には、いつもお祝いをくださっている。牧師室に井上フサ子さんの匂いがする。もちろん待っているのではないが、自ずと卓上にまなざしが向けられるのである。このことは牧師ばかりではなく、私達家族に対して、一人一人を覚えてくださっていた。伝道者を祈り、お支えいただく姿勢を常にいただいていたのである。このことは、もちろん牧師家族ばかりではなく、大塚平安教会そしてドレーパー記念幼稚園を常に覚えてくださり、お支えくださっていた。教会の皆さんにおいても、井上フサ子さんの祈りとして示されているだろう。井上フサ子さんの信仰の証しとしてのお支えであったと思う。
 井上フサ子さんは大塚平安教会の草創期から教会を支えて来られた方である。「大塚平安教会35周年記念誌」にも「50周年記念誌」にも、草創期の歴史を書いておられるが、ご自身の信仰については記されていない。気が付いたら井上フサ子さんがおられて、いつの間にか教会、そして幼稚園をお支えいただくことが記されるようになるのである。井上フサ子さんは永年小学校の教員を務められた。だから座間在住の皆さんは、井上フサ子さんに教鞭をいただいた方が多いのである。小学校の先生が教会に出席できるようになるのは、日本の敗戦となってからである。大塚平安教会の開拓伝道が始まるのは1929年であり、1941年には太平洋戦争が始まる。1945年、日本は敗戦を公にする。井上フサ子さんが教会に出席されるようになるのは、日本の敗戦後であり、いつからであるかは不明である。そして、教会と共に歩む中で1952年10月5日、この日は会堂の献堂式であり、北村健司牧師就任式であり、その喜びの日に洗礼を受けられたのである。以後、教会の役員を務められながら歩まれる。幼稚園においても、宗教法人幼稚園であったが、1977年から学校法人に移行する。移行と共に井上フサ子さんも理事となられ、ごく最近まで職務を担われたのである。
 御自分のできることなら、最大限の力を出されてご奉仕された方、一言で御紹介するなら、そのような一人の主を信じる信仰者の一生であったと思っている。最大限のお支えを心から感謝している。




2008年、大矢幸男さんの95歳のお祝いで老人ホームを訪問。
何かとお世話する井上フサ子さん。