鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<45>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <45>
2012年10月27日「盛大な晩餐会」



 今日は羊子が親しくさせていただいている皆さんを夕食にお招きした。お招きしたのはネウスさん、大原立司さんとスペイン人の夫人、お嬢さんの裕子さん、そして夫人の妹さんも来られる。そして、山田修平さん、羊子の友人のイグナシオさんとお母さんである。その8人と私たち3人の11人で晩餐会を行う。ネウスさんには9月24日に旧市街にあるカラコレス(かたつむり)という高級レストランでおもてなしをいただいている。昨年もクワトラ・ガッツ(四匹の猫)という高級レストランでご馳走になっているし、お宅にも招待されてお手製のパエリアをいただいている。羊子がスペインに渡ったとき、しばらくはネウスさんの家に下宿させていただいていたのである。ネウスさんが日本に観光に来られたとき、私たちの大塚平安教会にも来てくださり、海老名第一ホテルの和食料理でおもてなしをする。その時初めてお会いしたのであった。大原立司さんは画家であり、何かの縁で親しくさせていただいており、9月30日に羊子の両親が来ているということで、私たちをお宅に招待され、美味しい食事をご馳走になっている。三人のご家族を招待したのであるが大原夫人の妹さんも同道されたのである。それから山田修平さんは、こちらでは公認ガイドとしてお働きであり、昨年は山田さんのご案内で旧市街を見学したのであった。山田さんはカトリック教会の信者であるが、バルセロナ日本語で聖書を読む会に出席されており、そこで羊子と知り合うが、何かと羊子を心にかけてくださっている。今回は日本とアメリカを行き来しており、今日も一日ガイドをしてこられたと言われる。私たちとの再会を喜んでくださった。私は山田さんに説教集第二集「主の導きに委ねつつ」を贈呈した。山田さんには説教集「最初の朝餐」、「スペイン滞在記」を差し上げているので、今回の贈呈も大変喜んでくださった。大事に読んでいますとのお言葉をいただく。イグナシオさんは羊子の友人であり、何かと羊子に協力してくださっている方である。お母さんがバルセロナに来ているというので、一緒に来られることになったのである。



皆さんをお招きしての晩さん会。
お皿に乗っているのは、日本的な「海藻の酢のもの」。



こちらは日本的な「ひじきの煮物」。
皆さんは喜んで食べられた。



メインディッシュは日本的にアレンジした「肉の煮込み」。
これも珍しく、喜んでくださる。


 羊子はこれらの皆さんと親しくさせていただいており、両親が滞在していると言うのでお招きしたのである。羊子自身が腕を振るい、日本的な食事を用意する。いろいろな野菜を混ぜたサラダ、ひじきの煮物、海草の酢の物、そしてパン等を前菜として出す。こちらではまず飲み物等で前菜をいただく。その後に本料理が出される。本料理と言っても肉の煮込みで、お皿にご飯を盛り付け、その横に乗せる。こちらではこのような料理は珍しく、皆さんは喜んで食べる。大原さんや山田さんは日本人でありながら、なかなかこのような料理は口にできないのである。ひじきの煮物、酢の物などは大喜びであった。



食事をしつつ山田修平さんと歓談する。



こちらは画家の大原さんご家族。



右はネウスさん、左はイグナシオさんのお母さん。



ネウスさんの誕生会。



 食事が終わった頃、羊子の演出で電灯が消され、バースデイケーキを羊子が持ってくる。ケーキの上には73の数字のローソクが立てられている。ネウスさんの誕生日祝いなのである。10月22日がお誕生日であった。皆さんが来られる前に、羊子が私にハーモニカで「ハッピーバースデイ」を吹くように促され、前にも吹いたがあまりよくは吹けなかった。そこで何回か練習したのであるが、例によってスミさんから指導が入る。ケーキの入場によってハーモニカを吹くが、どうも音程が外れているようだ。しかし、皆さんが歌うので、音程の間違いは分からなかったようだ。ネウスさんの誕生会が終わると、再び電灯が消され、再びケーキが入場する。今度は山田修平さんの誕生会である。山田さんは9月21日が誕生日である。同じく73の数字のローソクが灯されていた。ネウスさんも山田さんも、そして私たち夫婦も同じ73歳なのである。ネウスさんにしても山田さんにしても、思わぬ誕生会に驚き、感激されていた。
 それからケーキをいただきながら、またカヴァ(シャンパン)を飲みながら歓談する。何回も記しているが、こちらの人たちの話し好きは驚くほかは無い。次から次へと大きな声で話すのである。12時頃になって、そろそろ帰られるので食事の席から立ち上がる。しかし、それでも立ち話が続き、結局皆さんが帰ったのは午前1時頃であった。思わず息をついた。