鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<43>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <43>
2012年10月25日「ウォーターフロント地区散策」



 昨日の夕食のとき、バルセロナでまだ見たいところがあるかと羊子から尋ねられる。要所は結構見学しているが、しかし、いろいろ観光名所がある中で海洋博物館はぜひ見学したいと思っていた。なんと言ってもスペインは海洋貿易、海戦の歴史を持つ国である。昨年、ランブラス通りを歩き、最後まで歩けば海洋博物館、コロンブスの塔に行き当たるのであるが、そこまではしなかった。それからミロの美術館も見学したいと思っている。早速、今日は羊子の都合が良いので海洋博物館に案内してくれたのである。



バルセロナの地下鉄。やはり「メトロ」と称している。



地下鉄の車内。吊革はない。



シルバーシートに座る。
シートはプラスチックで、停車や発車時には滑りそうである。


 メトロ(こちらでも地下鉄を言う)のサグラダ・ファミリア駅から乗り、ドラサナス駅で降りて、歩くこと5分の場所に海洋博物館がある。13世紀半ばに建設された旧王立造船所が博物館として使われている。14、15世紀は地中海貿易が最盛期であり、この造船所も栄えたようである。しかし、新大陸発見後は地中海に変わり大西洋が航海の舞台となり、17世紀にはこの造船所も閉鎖されたと言う。館内には航海で使われたものが展示されているが、世界地図や羅針盤、乗組員の衣装ケース、ミシン、大砲、ゴムボート、エンジン等も展示されている。やはり圧巻は戦艦、商船、漁船等の模型であり、それもかなり大きなものである。昔から帆船に興味を持っているので、海洋博物館は何よりの見学であった。1571年レパントの海戦を勝利に導いたレアール号の原寸大レプリカは、その部屋が工事中で見学できなかった。
 出口に土産物屋さんがあり、楽しい品物に目を奪われる。最初に興味を引いたのは昔の書籍の形をした箱であった。書棚に並べ、大切なものを収納しておいたらよいなあ、と思った。20ユーロである。また、いろいろな歴史の舟をあしらっているネクタイも魅力であった。それも20ユーロくらいである。しかし、それらのものは諦めて、コロンブスが乗ったサンタ・マリア号の模型を買い求めることにした。23ユーロである。これは書斎に飾っておきたいし、できればそれを見本にして製作したいとも思ったからである。
海洋博物館を出て、少し歩けばコロンブスの塔である。このあたりはウォーターフロントエリアと言われている。旧港を再開発したポルト・ベイがあり、その東側にはバルセロネータと呼ばれる海浜地区、さらにその先にはオリンピック村がある。港には中型の帆船が見学用に停泊している。その帆船を見学する。船底も見学できるが、薄暗いので入らなかった。帆船の仕組みを知る良い体験であった。港であるのでかもめがたくさん飛び交っている。日本のかもめは甲高い鳴き声と思っているが、こちらは濁ったような泣き声であった。
コロンブスの塔は60メートルの高さであり、上を仰ぎ見るのであるが、一番上に置かれているコロンブスの像がかすんで見えるようで、顔など分からない。コロンブスの手は新大陸の方角を指しているといわれる。1888年に完成したとか。その年はバルセロナで世界万国博覧会が開かれ、丁度良いタイミングで除幕式が行われたと言う。60メートルも高い塔の除幕式はどのようにするのか興味もある。中に入って展望台までエレベーターで上れるが、それは遠慮した。スミさんは高所恐怖症でもあるからだ。コロンブスと言えば新大陸発見者として知られている。だから新大陸は「コロンビア」と称されるべきであったが、ドイツの地理学者が南米大陸の発見者としてアメリゴ・ヴェブッチの名を記してしまったので、「コロンビア」ではなく「アメリカ」とヨーロッパでは称するようになったという。コロンブスは新大陸発見の功労者であるが、しかし、発見後は現地人を殺戮し、奴隷として売りつける残虐なことをしているのである。そのあたりを知ると、あまりコロンブスを評価できないのであるが、新大陸発見者の功労だけは後世まで伝えられていくようである。



海洋博物館にある豪華客船の模型。



コロンブスの搭の前で。ときどき小雨が降る天候であった。



見学用の帆船の前で。


コロンブスジェノヴァで生まれているが、成長の段階で探検家、航海者となり、スペイン国王に航海援助を得て新大陸を発見したので、スペイン・バルセロナにその像が置かれているのである。新大陸発見の報告を行ったのが「王の広場」である。9月24日に訪れている。