鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<33>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <33>
2012年10月11-14日「北の町四日間の旅(2)」



 美術館内には「だまし絵」がいくつか掲げられている。地中海を眺めるガラの絵が、見方によってリンカーンの顔になる。「メイ・ウエストの部屋」は面白い。鼻の暖炉、唇のソファーがそれぞれ置かれているが、少し高いところから見ると一つの顔になるのである。奇想天外な作品ばかりではなく、普通の絵画も掲げられている。愛人ガラの絵は美しいものである。金細工にも魅せられる。様々な金細工にも驚きの声が上がる。



ダリ美術館中庭。



ダリの「だまし絵」。愛人ガラに見えたり、リンカーンの顔に見えたり。
裸体のガラが見えるかな。



メイ・ウエストの部屋」、鼻の暖炉、唇のソファー等、
遠くから見ると一つの顔になる。



ダリの作品を多く見せられて3時頃には美術館を後にする。昼食は中華料理屋さんがあり、そこで食べることにした。イカとキノコのスープ、焼きそば、チャーハン、いくつかの野菜炒め等でお腹を満たし、ベルガに向かう。ベルガに向かう途中にリポイと言う町がある。鉄道の駅がある町である。リポイはピレネー山脈の麓であり、ここにはマリア修道院がある。今でこそ小さな町であるが、中世にはキリスト教世界とイスラム教世界の接点として、学問の一大中心地であったといわれる。ここの図書館はヨーロッパ有数の蔵書を誇ったとも言われている。サンタ・マリア修道院はベネディクト派で、バルセロナ伯ウィルフレド王が建てたのである。1835年に火災で焼失したが、19世紀末に当初の設計に基づいて再建される。現在の建物で、元の姿をとどめているのは、12世紀に造られた正面玄関と回廊である。正面玄関の彫刻はロマネスクの傑作とされる。旧約聖書の物語や1年間の労働の暦などが刻まれているが、残念ながら傷みがひどい。現在はガラスの玄関に囲まれて保存されている。以上は案内書によるが、実際に見てすばらしい彫刻であると思った。リポイを跡にしてベルガについたのは夜9時30分である。ホテルのレストランで食べることにしたが、ラストオーダーは9時50分であり、すぐにオーダーして食事したのであった。ここではビフテキ、サーモンステーキ等をいただく。ホテルは二つ星であり、結構整った良い部屋で休むことができた。寒さを肌に感じる夜であった。



ピレネー山脈の麓・リボイの町、マリア修道院の前で。



修道院の長い回廊の展示物を見学しつつ。



【北の旅第三日目】
ベルガのホテルはエステル・ホテルとの名称である。かなり寒かったので、予備の毛布をかけて寝る。朝起きて久しぶりにお風呂に入る。前日のホテルは湯は出るものの浴槽に溜めるほどではない。このホテルは熱い湯も出るので、浴槽に溜めてお風呂として入ったのである。久しぶりにお風呂に入り、体が軽くなった思いである。
朝10時頃に食事をとり、その後散歩に出る。少し歩くと朝市が開かれていた。プラタナスの並木の下に露店が並ぶこと100mくらい、さまざまな露店が並んでいる。衣類、雑貨、駄菓子、台所用品、金物、電気用品、野菜、果物、豆類等、肉や魚の生鮮以外はすべて並べられている。時々開催されるようで、今回たまたま開催日にベルガを訪れているのである。店を覗くうちにも自ずと衣類屋さんに立ち止まる。とにかく寒いので、防寒ジャンパーを買う。リバーシブルであり、その場で荷札を切ってもらって着ることにした。今まで縮こまって過ごしていたが、体が伸びる思いである。さらに長袖の下着を買う。まさか、こんなに寒い経験をすることはないだろうと、長袖のシャツは用意してこなかった。ズボン下も同じでステテコ程度、いわゆる「ももしき」は持参していない。11月6日に帰国するので、その頃は寒くなっているのであるが、何とかしのげるだろうと、軽い気持ちであった。まさかバルセロナの北の地域に来るとは思っても見なかったのである。こちらには「ももしき」なるものはない。タイツである。タイツはぴったりと肌に密着するので好まないのであるが、この際、好き嫌いは言っていられないので、防寒のためには何でも良いので、これも求めたのであった。さらに厚めの靴下も買い求める。散歩から帰り、下着や靴下を暖かいものに変える。体全体が暖かくなる。横浜と北海道の気温が異なるように、同じバルセロナ県でもベルガはかなり北に位置する。こちらの寒い地域からバルセロナに行けば暑く感じるのである。だから、バルセロナでは、私たちは長袖を着ていてもノースリーブの人を見かけるのである。



ベルガの朝市で防寒ジャンパーを買い、市場を覗いて歩く。