鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<32>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <32>
2012年10月11-14日「北の町四日間の旅(1)」




 今日10月11日から14日まで三泊四日、バルセロナから北にある町を訪ねる旅に出る。この旅行の中で古代遺跡やダリ美術館を見学する。地中海に面するアンプリアス、フィラゲス、リポイ、ベルガの町々をめぐるのであるが、丁度三角に移動することになる。フランスにもかなり近い地域である。11日の朝10時頃に家を出て、130km離れたアンプリアスに着いたのは12時20分頃である。アンプリアスは古代ギリシャとローマの遺跡があるところである。アンプリアスはラスカラという町から1km離れたところにある。ギリシャの植民地エンポリオンとして紀元前6世紀に築かれた町であるという。その後、カエサルによって再建・拡張されローマ都市になったが、3世紀に西ゴート族の侵入で荒廃、さらに8世紀にはイスラム教徒によって破壊されたと案内書に記されている。発掘はまだ完全に行われているのではなく、これから少しずつ行われるようである。まずギリシャの遺跡を見学する。今は土台部分しか残っていないが、このような建物であったと説明書きが立てられている。大きな集会所、家の跡、居間や台所、浴室や井戸の遺跡が昔を偲ばせながら石を積み上げている。その後、博物館に入り、当時使用した道具や硬貨等を見学する。次はローマ遺跡である。こちらでは部屋の床にモザイクが施してあり、2000年前の色合いがそのまま残されているのである。こちらも大きな集会所、家の各部屋等の石の土台が残されている。ごろごろと石の土台を見て歩くが、かつてはここで人々が生活していたと思うと、石ころ一つでも思いが伝わるようである。


アンプリアスのギリシャの遺跡。



遺跡を背景に記念写真。



こちらはローマの遺跡。今もモザイクが鮮明に残されている。


午後2時30分頃まで見学し、昼時であったので海沿いのレストランで昼食を取る。白身魚を赤ピーマンで包み、レシャメルソースで煮込んだ料理はとても美味しかった。ミックスパエリアとか豚肉とキノコの煮込み等もおいしかった。食事後はフィゲラスに向かうのであるが、途中、野鳥公園による。沼地にあり、いろいろな鳥が飛来する。観察小屋から野鳥を観察する。白鷺の群れを見ることができたし、バルセロナでも見かける緑色の鳥もいた。フラミンゴも遠くに見ることができた。鳥ばかりではなく、あらゆる爬虫類や虫等が生息しているという。公園には牧場もあり、牛の群れが見物している我々のすぐ近くまで寄ってきたことは愉快であった。
ダリ美術館のあるフィゲラスのホテルに着いたのは午後8時30分頃であり、もはや日が暮れていた。このホテルで泊まることにしたのは、ダリ美術館がすぐ近くにあるからである。バルセロナより陽が沈むのが少し早いようである。北の方面は寒いといわれていたが、確かに寒さを感じる。夜は備付けの毛布を上乗せして寝る。北の旅の第一日目が終わる。




野鳥公園の牧場にて。


【北の旅第二日目】
アルト・アンポルダ地方の首都であるフィゲラスはフランスのカタローニュとスペインのカタルーニャ地方を結ぶ道路の十字路に位置し、商業都市として栄えてきたといわれる。静かな町であるが、この町を有名にしているのはダリ美術館があるからである。各地からの見学者が絶えない。ホテルは一泊であったので、チェックアウトしてから美術館に向かう。スミさんは、昨日も一日中見学しているので腰の具合も良くなく、車椅子に乗せていく。こちらの道はローマの町と同じように細かい敷石が埋め込まれている。だから車椅子で移動するのは結構困難であるが、ダリ美術館はすぐ近くである。
サルバドール・ダリは1904年にフィゲラスで生まれる。美術学校から放逐されたダリはパリに出る。そこでシュールリアリスム(超現実主義)のグループの連中やカタルーニャの前衛芸術家たちと付き合いながら、独自の表現をつくり上げていく。1929年にカダケスの町で彼と共に歩むことになるガラと出会う。ダリの理解者ガラは1989年に亡くなるが、彼女の死後7年してダリも亡くなる。と言うことは1996年に亡くなるのであるが、92歳まで生きたのである。つい最近までダリはこの世の人であった。実際、美術館は1974年9月28日に開館する。ダリが70歳のときであったと言われる。本当に極最近の画家であり、造形家であるのである。



ダリ美術館入口。