鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<30>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <30>
2012年10月9日「芸術に心身ともに癒され」



 滞在記の番号が滞在日数になるので、今日でバルセロナ滞在30日目となる。一ヶ月前の9月9日は横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式司式を担当する。その後は子ども達と共に三崎にあるお寿司屋に向かい、美味しいチラシ寿司をいただく。「隠退牧師の徒然記」として書いてきたが、9月1日に書いたものが140回であり、そこでペンを置いている。スペインに向かうので、きりの良いところでお休みにしたのであった。従って、その後のことは記録してないので9月9日について記しておくことにしよう。
 10日に出発するので、前日の土曜日から星子、百合子、弥生さん達が来ていた。そして日曜日は横須賀上町教会の礼拝に共に出席する。二ヶ月間バルセロナに赴くが、9月の聖餐式はこの日に執行する。10月の聖餐式はお休みにさせていただくことにした。そして、11月6日に帰国し、11月11日の礼拝で聖餐式を執行することになっている。二ヶ月間留守にするが、聖餐式をお休みにするのは一回だけである。そのように予定を組んだのである。教会の皆さんから旅の無事を祈られつつ教会を後にする。そして、その後は三崎に向かう。8月19日に三崎教会の講壇に立たせていただいたのであるが、こちらには青山教会時代に出会った山田満枝さんが出席されておられる。近くの老人ホームに入居されている。7日29日にも講壇に立たせていただいたとき、礼拝が終わるとともにお帰りになったので、スミさんはお話をすることができたが、私はお話できなかったのである。それで8月19日の三崎教会の礼拝後に、ぜひ食事を一緒にしたいと言うことで、お寿司屋さんに案内してくれたのである。そこでとても美味しいチラシ寿司をご馳走になる。それで我が家の子ども達にも食べさせようと、9月9日の横須賀上町教会の帰りに寄ったのである。少々高いが、ネタが新しく、ボリュームもあり、本当に美味しいお寿司であった。しばらく留守にするので、餞別の意味もある。そして、家に帰って、旅の準備をしたのであった。
 今日は夕刻になって羊子が散歩に連れ出してくれた。スミさんの腰の具合も大分よくなってきており、昨日は3000歩もカウントしている。今日も少し多めに歩くため、サン・パウ病院を目指すことにした。バルセロナに来て三日目にスミさんの腰の具合を診てもらった病院である。単なる病院ではなく、芸術に包まれた病院なので、観光コースにも入れられている。そのときも記したが、モデルニズモ芸術として造られている。モデルニズモ芸術とは、19世紀末の芸術で新しい芸術と言う意味である。フランスではアール・ヌーヴォーと呼ばれているが、国によって呼び方が異なる。イギリスではモダンスタイル、ドイツではユーゲントシュティール、スペインではモデルニズモと呼ぶのである。その当時の芸術家、サンティアゴ・ルシニョール、パブロ・ピカソドメネク・イ・モンタール、アントニ・ガウディ等が活躍している。サン・パウ病院はモンタールの作である。花模様をたくみに表した建物は、まさに芸術作品として今日も存在しているのである。



芸術としても有名なサン・パウ病院



 サグラダ・ファミリアからゆるい上り坂を歩く。そこは遊歩道になっており、道の両脇にはベンチが置かれている。そのベンチには高齢者の皆さんがゆったりと座っているのである。いろいろとおしゃべりしている人たちもいるが、一人でじっと座っているお年寄りもいる。日本では公園にでも行かなければ、道端にベンチがずらりと置かれているところは無い。道路に余裕があるからこのような場ができるのであろう。日本のお年よりはデイサーヴィスに行ったり、ゲートボールをしたりしているが、一人でも出かけられる憩いの場がない。お年寄りの皆さんの視線を受けながらサン・パウ病院に着く。昨年は羊子と同居していた路美さんが星子と私をここに案内してくれた。そのときは修繕中で外観を見ることができなかったが、そのため案内書の写真をコピーしたのであるが、今回は美しい建物を写真に収めることができた。今日は5000歩をカウントしている。さすがにスミさんも疲れを覚えたようだ。



サグラダ・ファミリアからゆるい上り坂を歩き、サン・パウ病院へ。