鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<23>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <23>
2012年10月2日「ジムでの回想とお呼ばれ」




 久しぶりにジムに行く。前回はローマに赴く前日、17日に行っている。近いので一人で行けばよいのであるが、受付で手続きすることが出来ないので、羊子が都合の良いときにいくことになる。今日は、羊子は都合が良く、朝食を10時頃に済ませて出かけたのであった。まだ午前中であるが。結構利用している人がいる。プールで泳いでいる人、ジェット噴流を受けている人、サウナに入っている人、いろいろなスポーツをしている人等、どこの国の人たちも健康のために利用者が絶えないのであろう。
 ところで、このジムの名称は「メトロポリタン」である。サウナに入りながら、池袋にある「ホテル・メトロポリタン」の出来事を思い出していた。いつの頃からか日本基督教団は総会をこのホテル・メトロポリタンで開催している。2002年10月に開催された第33回日本基督教団総会で書記に選出される。それまで小島誠志総会議長であったが、3期6年間務めているので、山北宣久牧師を議長に選任する運動が起こる。そのとき、事前に山北宣久牧師は、まだ選任されたわけではないが、選任されたときには、ぜひ書記に就任してもらいたい、との要請をいただいたのである。そして、山北宣久議長が誕生し、小林眞副議長が選任される。そして議長と副議長が書記として私を選任したいと諮り、議場の承認を得たのであった。議長、副議長は議場で選挙されるが、書記は議長、副議長の選任を議場が承認するということになる。総会二日目、午後の議事に入るときに選任されたのであった。それまで小橋孝一書記であったが、選任されるや、すぐに議長団の席に着かなければならないので、壇上で小橋孝一前書記と握手して交替したのであった。以後、総会において、私は4期8年間、この議長団の席に座ることになる。議事の進行は議長、副議長が担うが、書記は議案の朗読、採決のカウント、議事の管理等を行う。すべて滞りなく議事が進行すれば良いのであるが、そういうわけにはいかない。
 第34回総会は歴史に残る総会となった。その総会にいくつかの教区から、似たような議案が提出された。性差別問題を扱う議案であり、議長団は事前に常議員会において、同一議案を整理し、一つの教区が提出した議案のみを審議することにした。他はほとんど内容が同じであるからである。ところが総会において、開会礼拝が終わり、議長団が席に着こうとしているとき、二人の議員が議事の取り扱いについて抗議するため壇上に上がってきたのである。それが合図であるかのように、議場から数十人の人々が壇上に駆け上がってくる。そして議長を取り囲み、激しく抗議するのであった。書記である私には抗議で詰め寄られることは無かったが、議長が大勢の人に取り囲まれているので、輪の中に入ろうとすると、突然左腕を引っ張られる。私をその輪の中に入れないためであった。見れば女性の議員であった。結局、議長は議長団で相談するからと述べ、我々は別室で協議する。顧問弁護士を交えて協議し、混乱を収めるためには、議事の取り扱いをすべて審議することにしたのである。常議員会で決めたことを覆す形になったが、抗議する人々が納得し、1時間40分遅れで議事に入ることができたのである。
 2010年10月に開催された第47回総会で書記の任を終えることになる。休憩時間のとき、ある人が「書記なんかやって、何の得があったか」と言う。退任の挨拶のとき、その言葉を引用しながら、「教団の歴史を書き残したことは、自分に対して、良くやったと言いたい。自分にとって大きな得である」と述べたのであった。議場の拍手をいただきながら壇上を降りたのである。サウナに入りながら、懐かしい思い出をよみがえらせていた。
 夜は羊子の友人マルガさんに夕食の招待をいただく。女性の声楽家で、先日モンセラットの教会で歌っている。ソプラノで歌うだけあって、話し言葉も大きい声である。賑やかな会話を聞きながら、腕をふるって作られたお料理をいただく。この食事会にはマルケスさんや他の友人も来られ、8名が食事をいただきながらお交わりを深める。それにしてもこちらの皆さんは、これでもか、これでもかと食べ物、飲み物を出される。遠慮なく残せと言われるが。



マルガさんと羊子。モンセラットの式典で聖歌と奏楽をしたので
感謝状をいただく。



マルガさんお手製のカボチャのスープ。



マルガさんが腕をふるって作られたイカと肉団子、豆の煮込み料理。



ホアキンさんと羊子。