鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<20>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <20>
2012年9月29日「モンセラットでの式典」




 今日は朝8時30分にはモンセラットに出かける。そこで式典があり、その式典で友人のマルガさんが歌うので、羊子がその伴奏をするからである。モンセラットは「のこぎり山」とも言われ、奇怪な形をした岩山がそびえ立っている。標高1235メートルという。その中腹にベネディクト派の修道院があり、この礼拝堂にはラ・モレネータと呼ばれる黒いマリア像が祭られている。このマリア像を見るために多くの観光客が訪れるのである。もちろん、そればかりではなく奇怪な岩山の景色は見ものである。昨年4月5月にバルセロナを訪れたとき、聖書の会の下山由紀子さんが、私と星子をこのモンセラットに案内してくれた。黒いマリア像はそのとき見学しているので、今回は見学しなかった。昨年訪れたときも小雨が降ったが、今回は雨が降り、傘をさしての移動である。モンセラットは霧に包まれており、幽玄的な眺めであった。こんな雨でも大勢の観光客が訪れていた。観光客ばかりではなく、信仰において訪れている人もいるのであろう。今回は車で来たが、昨年はバルセロナから電車で来ている。電車であると1時間30分要した。途中から登山電車になり、ケーブルで引き上げているのである。だから、そんなに早くは走れず、ゆっくりと上っていくのである。車の方が早いというわけである。



霧の中のモンセラット



式典が行われる。


 式典は修道院より下にあるカトリック教会で行われた。何の式典なのか、いろいろと説明を受けたが良く分からない。歴史的なもので、貴族の伝統を守るようなものであるらしい。式典は礼拝をささげながら進められていた。その式典の中でマルガさんが歌をうたい、羊子がパイプオルガンで伴奏をするのであった。式典がモンセラットで行われたのは、この場所がカタルーニャ人の信仰と民族意識の中心地であるからである。今、カタルーニャの人々は独立を叫んでいる。このことは既に記しているが、何とかして民族の独立をはかりたいのである。バルセロナから車で1時間を要するが、出席者は貸切バスで来ていた。従って、式典はカタルーニャ語で行われていたということである。スペイン語であるのかカタルーニャ語であるのか、私たちには分からない。30人くらいの出席者であった。日本人のシスターがおられ、挨拶を受ける。



後ろの席で式典を見学する。



聖歌を歌うマルガさんと伴奏の羊子。


 式典が終わると上の修道院の隣にあるホテルに向かう。そこのレストランで食事を取るためである。カタルーニャ料理をいただく。前菜として出された料理だけでも、お腹いっぱいになる。ピーマンやナスの煮込み、魚介類が添えてある。本料理は羊の肉とジャガイモの煮込みであった。ワインをいただきながら美味しく食べる。修道院までは車で入ることはできない。少し下から登山バスのような乗り物で上がってくるのである。



式典が終わると、ホテルのレストランで豪華な食事に与る。


 午後5時頃に帰宅する。羊子と話す以外はスペイン語カタルーニャ語なので、なんとなく疲れる。もっとも日本人のシスターとお話しすることができたが、言葉が通じない世界は心労があるということである。その点、大塚平安教会在任の頃、スリランカ人家族と出会い、私が彼らの仮釈放保証人になっているが、言葉の苦労を改めて示される。二人の子ども達は友達と触れ合うので、日本語をすぐに覚えるのであるが、特に母親のチャマニさんは日本人との触れ合いが少なかった。教会の皆さんが何かとかかわりを持つようになり、最近では随分と上手に話せるようになっている。日本に住むつもりでいるのであるから、やはり日本語を会得しなければならないのである。わずか二ヶ月くらいの滞在では、なかなか覚えられないのである。それでも何かとスペイン語で示されているので、少しは身についているのかな。
 創世記11章に「バベルの塔」の物語が記されている。人間が思い上がって「有名になろう」と言うことで、天まで届く塔を造ろうとするのである。そのとき神様は、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めた」と言い、「彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにする」と言われ、建設が中止されたのである。言葉が通じないということは、相手を理解することに務める。その文化を知り、言葉を覚えようとすることに意義があるのである。言語の違いの意味ではないか。