鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<19>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <19>
2012年9月28日「信じて生きる」




 yahooのメールを立ち上げ、関係者に送信し始めたことについては昨日記した。今日はバルセロナに滞在して以来、日記を書いているので、第1日目から18日目までの日記を日本の自分のパソコンに送っておいた。帰ってからブログで公開するので、今のうちに整理しているのである。整理といえば、説教集の整理も進んでいる。5月に説教集第二集として「主の導きに委ねつつ」を発行したが、第三集「新しい命」の編集をこちらで終えることができた。引き続き第四集「時の到来」の編集をしている。滞在中に編集が終わると思うので、帰国したら順次発行する予定である。
 ところで今日は持参した五木寛之著「親鸞」(上、下)を読み終えた。昨年も井上靖著「孔子」を持参して読み、その感想文を記しておいた。今回も、読後新鮮なうちに記しておくことにした。「親鸞」は言うまでもなく仏教のお坊さんであり、浄土真宗の開祖である。しかし、この本は親鸞の生い立ちから、修行が中心であり、最後になって「親鸞」と改名し、越後に流人として旅立つところで終わっているので、浄土真宗開祖には至らない。親鸞の真の働きの前の部分をまとめたものである。小説であるので、物語にとみ、大変面白く、心を躍らせて読んだのであった。しかし、その中にも法然上人との関わりで、いくつか書き留めておくようなことが展開されており、キリスト教との関連で参考になった次第である。
 親鸞は幼少の頃は忠範と称し、弟達二人と共に伯父の家で育てられている。物語は8歳から始まっていく。幼少にして河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺坊弁才との出会いがあり、忠範の進路に大きな役割を果たしていくのである。彼らは世の中のどん底を知るものであり、そのどん底を選んで生きているのである。忠範が貧しき存在を心から受け止めて生きるのは、彼らとの出会いがあることを著者はそれとなく記している。やがて忠範は比叡山に入り仏門の道を歩みだすのである。9歳になってからである。入山してから忠範から範宴と改名する。厳しい修行に耐えながら次第に僧としての道を深めていくのである。しかし、修行を積めば積むほど煩悩に苦しむようになるのである。そういう中で法然上人との出会いが導かれてくるのである。法然上人は民衆に念仏を唱えることによって、どんな人でも浄土に行かれると説いた人である。法然上人との出会いにより綽空(しゃくくう)と改名する。さらに善信と改名している。そして彼の求道はついに法然上人を超えて行き、親鸞と改名するのである。まだ浄土真宗には至らないときである。
 物語をかいつまんで紹介するには紙面の都合もあり、大雑把な足取りしか記せない。ここで書きとめておきたいのは、親鸞の浄土観と言うことである。親鸞は恵信という女性と結婚する。その恵信に対して次のように言っている。「もう死んでもよいというほどうれしいということは、すでに往生したと同じではないのか。わたしはいま、まぶしいほどの光に包まれている。そなたは生きてきた甲斐があった、というた。これは浄土にいるのと同じよろこびではないのか。一心に念仏すれば、臨終のときに必ず浄土へ迎えられるというが、死んで浄土へいくこともうれしい。しかし、いま、こうしてあたらしく生まれ変わったようなよろこびを感じることも、これも往生のすがたかもしれぬ」と述べている。
 主イエス・キリストは、「神の国」に生きることを導かれた。神の国は死んでから彼方の国に導かれる、すなわち永遠の命へと導かれることであるが、生きている今、神の国に存在していることを導かれたのである。その神の国の実現は、イエス様が十字架の贖いをもって完成するのである。十字架の贖いは、私たちを常に新しい命へと導いてくださる。十字架を仰ぎ見ては、古い自分を脱ぎ捨て、主の御心によって生きることへと導かれるのである。こんなに大きな喜びはない。いみじくも親鸞が、生きている今、往生のよろこびを得ている、というのと通じると示される。私たちは十字架によって、この今、神の国に生きる喜びを得ているのである。
 

サグラダ・ファミリア受難の門。中心はキリストの十字架である。



フレデリック・マレー美術館に展示されている数々の十字架。