鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<16>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <16>
2012年9月25日「ストリート・ボックス」



 昨日は日本にいる百合子から電話があり、折り返し電話する。日本基督教団世界宣教委員会の加藤幹事から電話があったということである。たまたま百合子が六浦の家にいたときなので、受信できたのである。おそらく何回か電話があったのであろう。マレーシアのクワラルンプールにある日本人教会の短期牧会を要請されているが、まだ日程が決められていない。それで、12月からにするか3月からにするかとの問い合わせである。スペインから日本に帰国するのは11月6日であり、12月からでは整理がつかない。ここは3月からにすることは言うまでも無い。昨日は電話できなかったので、今日の朝のうちに電話をする。今の時差は日本より7時間遅れである。それでこちらの朝の9時頃に電話をする。しかし、加藤幹事は不在であり、高田職員が応対してくれたので用件を伝えておいた。
 この件については夏頃に打診されていたのであるが、当初は断ったものの、結局受託している。今なら何とか勤まると思ったからである。マレーシアの生活について皆さんに報告するのも楽しみと思ったのである。今回のスペインを訪ねることにしても、あっという間にその日が来てしまった。マレーシアについてもあっという間に終わるだろう。
 今日は羊子がレッスンで出張しているので、夕刻になってスミさんと散歩に出た。こちらに来て二人で散歩に出るのは初めてである。散歩といってもサグラダ・ファミリアを一周する程度ある。久しぶりにサグラダ・ファミリアを下から仰いで見学することになったが、昨年より工事が進んでいるようだ。造りが新しくなっている部分があり、栄光の門側の工事もはかどっているようだ。夕刻6時になっていたが、まだ入場者が並んでいた。彫刻、彫像等、懐かしく見学しながら一周する。東の聖誕の門側の公園には池がある。そちらの公園を歩くと、高齢者がペタンカのゲームをしている。昨年も記したが、日本で言えばゲートボールのようなものである。重い鉄の玉を転がして何かを競うようだ。そのようなコートが二面あり、いずれもプレーを楽しんでいる。ゲートボールのような広い場所は必要ないようである。テーブルでは年配の人たちがトランプのゲームをしているようであった。



サグラダ・ファミリア聖誕の門側



ペタンカを楽しむ皆さん


 歩いているうちにスミさんが空腹を覚え、ケンタッキーがあったので入ることにした。ローマに行ったときにも見かけたが、ケンタッキーはどこの国にも進出しているのであろう。そこでストリート・ボックスのチキンを注文する。チキンの一塊とフライドポテトがついている。2.60ユーロであった。一つしか注文しないので、店員が怪訝な顔をしている。飲み物も頼まなかったからである。スミさんが言うには、日本で食べるフライドチキンとは違うということだ。こちらは骨が多く、固めてある粉も硬いそうだ。再びそぞろ歩きで帰宅する。
 羊子が出張レッスンから帰り、午後10時頃に夕食をとる。今日は久しぶりと言うか、こちらに来て初めて魚料理にしてくれた。だいたい肉料理が多く、レストランに入っても、ついビフテキ等を注文してしまう。魚料理はなかなか食べる機会が無い。もっとも昨日のネウスさんの招待では、スミさんはシーフードパエリアを食べていた。肉のパエリアもあるそうだ。魚はぺルカと言う魚で、炒めて食べる。平目のような淡白な味でもあった。しかし、身はかなり厚い。初めて食べる魚でもある。魚といえば、こちらでは黒マグロである。地中海で取れる黒マグロは、日本のマグロより美味しいといわれているが、私としては日本のマグロ、それもトロよりも赤みの部分を好む。こちらに来て黒マグロのお寿司、お刺身をいただいているが、特別に美味しいとは思わなかった。カツオなどは無い。日本では、今頃は戻り鰹といい、脂ののったカツオが美味しいであろう。こちらの魚屋さんにはあまり種類が置かれていない。
 食べることばかり記しているが、食べ物文化を知ることが、その国の文化を知ることでもある。だから外での食事は必ず写真に写している。食事の写真だけでも一冊のアルバムができそうである。こちらに来ても朝はご飯、味噌汁である。日本の食事は私を養うエネルギーである。