鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<14>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <14>
2012年9月23日「パロキアの礼拝に出席」



 今日は日曜日、礼拝をささげる日である。もっとも、昨日はバルセロナ日本語で聖書を読む会の礼拝をささげたので、礼拝は済ませていることになる。しかし、羊子がいつも日曜日にはカトリック教会に出席し、奏楽を担当しているので、私たち夫婦も出席することにした。出席しても言葉が分からないのであるが、羊子の両親が日本から来ていることは皆さんが知っているので、挨拶の意味もある。
 カトリック教会はサンパンクラシオ教会と称する。パロキアとは教会の意味でもある。羊子の家から車で10分くらいである。羊子の家から変わった建物の水道局を眺めているが、そのすぐ側にある。11時に開会なので早めに行く。やがて皆さんがパロキアに入ってくる。昨年もお会いしているので、懐かしい対面の皆さんである。昨年の神父さんは転任となり、新しい神父さんとお会いする。皆さんの歓迎を受ける。
 礼拝が始まる。二人の神父さんが会衆に呼びかけていることから始まる。続いて賛美となる。以前は奏楽なしで賛美していたが、8年前から羊子が出席するようになってから、羊子の奏楽で歌うようになっており、時には羊子が休むことがあり、皆さんは奏楽なしの賛美に不満を持つようになっている。賛美が終わると信徒が聖壇に上がり、おそらく聖書を読むのであろう。それに対して会衆が応答している。さらに別の信徒が聖書を読み、会衆の応答がある。その後は神父さんの説教となる。15分くらいのお話である。日本の牧師のように30分も説教をしない。その後、使徒信条を告白し、神父さんのお祈りがある。羊子が言うには、日本から来ている我々のためにお祈りをささげてくれたそうだ。その後、献金がささげられる。夫婦として4ユーロささげたが、籠の中には小銭が多いように思えた。見るつもりで見たのではないが。献金の後は聖餐式である。最初に神父さんが聖餐に与り、その後信徒が神父さんの前に出て行ってパンとぶどう酒をいただく。パンは薄いおせんべいのようなもので、かけらをいただき、神父さんが持っている器に入っているぶどう酒に浸していただくのである。我々もこの聖餐式に与る。聖餐式が終わると一同で主の祈りをささげ、頌栄を歌って終了となる。11時40分には終わったと思う。25人くらいの出席であったようだ。皆さんが挨拶をすると、神父さんもさっさと帰ってしまう。後の片付け、戸締りは信徒の役員さんのような人が行うようだ。我々も12時30分には教会を後にする。日本の教会では、礼拝が終わっても何かの集会があり、夕刻まで教会にいることになるのだが、こちらは礼拝が終われば何も無いことが多いのである。




サンパンクラシオ教会のミサ。



聖餐式。会衆は前に進み、神父さんから聖餐をいただく。



ピアノで奏楽する羊子。



羊子を慕う子供達。


 バルセロナでは22日、23日、24日は祭日でお休み体制である。聖人のお祭りであるようであるが、どんな聖人であるか分からない。そのため土曜日からいろいろなイベントが行われている。サグラダ・ファミリアでは光の祭典が行われている。東側の聖誕の門に光をあて、光のショウが展開されるのである。毎日午後8時、9時、10時、11時、12時に15分間行われる。23日のこの日、我々は午後9時の光の祭典を見に行くことにした。ところが多くの人々が見物に来ており、見るどころではない。群集の中に紛れ込んだら大変なことになりかねない。それで、時間を遅くし夜11時の祭典に出かけることにした。帰ってくるのも大変である。人々に逆らって帰ってくるのである。後から後から人々が祭典を見るために聖誕の門に向かっているのである。家に帰ってから食事を取る。そして11時になって再び出かける。少しは人の群れがなくなったと思うが、それでも多くの人が詰めかけており、中ほどには進めないまま端のほうから光の祭典を見ることになる。いろいろな光が聖誕の門に充てられ、様々な彫刻、彫像の起伏に調和するように光が踊っているようであった。お腹のそこまで響く音楽に合わせて光の祭典が繰り広げられたのであった。わずか15分であるが、一日5回、三日間行われ、多くの人が見物に来たのであろう。
 人間は珍しいものを見ること、際限なく求めるのであろう。



光の祭典に集まった群衆。



サグラダ・ファミリアに様々な色の光が当てられる。