鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<12>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <12>
2012年9月21日「ローマを訪ねる(4)」



 早くもローマ滞在四日目である。今日一日見学して帰路に着く。午前11時がチェックアウトであり、朝食を済ませ、帰り支度をする。旅行カバンと手荷物はホテルのフロントに預け、最後の見学に出かける。歩いていくのはかなりきついのでヴァチカン付近からタクシーで行くことにした。ホテルを出るとたまたま通りかかったタクシーを拾うことが出来た。ラッキーであった。最初にサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に行く。ペトロがエルサレムで牢につながれていたときの鎖(ヴィンコリ)を祀るために教会が建てられたのだという。しかし、この教会が有名なのは、ここに16世紀の巨匠ミケランジェロの代表作の一つ、「モーセ像」が置かれているからである。角の生えたモーセについては画集で見たことがあるが、本物の前に佇む喜びを得る。



鎖・ヴィンコリが祀られている前で。



ミケランジェロ作の「モーセ像」



 次にコロッセオに行く。5万人も収容するという巨大円形闘技場である。ここもかなりの人が並んでいたが、車椅子優先で、チケット売り場にはすぐに行くことができた。車椅子使用者と介護者は無料であり、一人分の入場料で済む。一人12ユーロである。エレベーターがあり、2階の通路に上がることができる。4階建てであり、いろいろな部分が随分と失われているが、当時の面影を残している。競技場の床部分は無く、地下の各部屋を見ることが出来る。壮大な眺めであるが、建設されたとき猛獣と人間の格闘が100日間も行われたという。また人間同士の格闘もあり、後にキリスト教迫害で殉教した人々の歴史がある。キリスト教公認後はこれらの血なまぐさい見世物は下火になり、やがて廃止される。その後はコロッセオの資材がそれぞれの建築に用いられ、次第に栄光のコロッセオが消えていくのである。しかし、建物そのものは残されており、多くの人々が世界中から見物に訪れている。今こそこの建物が貢献されているというわけである。



コロッセオの競技場跡を見学する。



コロッセオの通路を移動しながら見学する。


 コロッセオを出てからフォロ・ロマーノを見学するつもりでいたが、道路からかなり見ることが出来たので、中には入らないことにした。車椅子で中を見てまわるのは大変なようであったからである。コロッセオの近くにカピトリー二美術館があり、見学することにした。ここも車椅子と介助者は無料である。入場料は一人9.5ユーロであった。中にはマルクス・アウレでリウス帝の騎馬像が置かれている。堂々とした騎馬像の前に佇む。先にコンセルヴァトーリ宮を見学する。ルーベンス作の「ロムルスとレムス」の絵が掲げられている。ロムルスがローマ建国の父とされている。二人の兄弟が狼の乳を飲んでいる絵である。これは彫像にもなっている。カラヴァッジョ作「女占い師」や「洗礼者ヨハネ」の絵も掲げられている。新宮といわれるパラッツオ・ヌオーヴォの中には「物を言う像」が置かれているが、今は修復中で見ることが出来なかった。しかし、二階から見ることができた。「瀕死のガリア人」、「カピトリーノのヴィーナス」等も見学することになる。次から次と有名な美術品に出会うのであるが、ゆっくり鑑賞することもできない。よくよく案内書を読まないと分からないのである。だから有名な美術品、絵画等、ちらりと見て通り過ぎてしまっているのである。もったいない話であるが。



彫刻「カピトリーノの雌狼」を鑑賞する。



ルーベンス作「ロムルスとレムス」を鑑賞するスミさん。



 ローマ発は午後10時であり、2時間前には空港に行くことにしていた。美術館を出るとタクシーが客を乗せてきたところであり、交渉して乗せてもらうことになった。これもラッキーであった。来るときも帰るときも、すぐにタクシーに乗ることができたのである。ホテルで荷物を受け取る前にカフェーテラスでお茶をいただく。カルロスさんが挨拶に来てくれた。
 ホテルにはカルロスさん紹介のタクシーが迎えに来てくれた。空港まで約30分であるが、この運転手は電話で話し続けている。とにかくローマ人、イタリア人はよくしゃべると思った。スペイン人もよくしゃべるとの印象を持っていたが、それ以上のおしゃべりを耳にする。予定通りのフライトであり、羊子の家に着いたのは翌日になっていた。遅い食事をして、午前2時頃に就寝。念願のローマ訪問を果たせたことを感謝する。連れて行ってくれた羊子にも。