鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<11>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <11>
2012年9月20日「ローマを訪ねる(3)」




 ローマ滞在の三日目、快晴であった。10時頃にホテルを出発。スミさんを車椅子に乗せて道を歩くが、ローマの道が悪いことは既に記している。しかし、必ずしも悪い道ばかりではなく、舗装されている道路もある。まずナヴォーナ広場に行く。ローマを代表する広場とか。この広場はローマ時代の1世紀の後半、ドミティアヌス帝がここに競技場を造ったのが始まり。競技=アゴーネがなまってナヴォーナと呼ばれるようになったとか。広場の中央にオベリスクが建つ。中心は噴水である。ムーア人の噴水、四大河の噴水、ネプチューンの噴水等、人々の憩いの場となっている。例によって大勢の人々が訪れている。ここでも絵画を売る店が多い。自分で描いた絵もあり、あるいは誰かの絵を売っているのである。広場に面してアゴーネ教会があり、中に入って見学する。



ナヴォーナ広場にて。スミさんと羊子。



パンテオンを背景に。



トレヴィの泉にて。


 次に訪れたのはパンテオンである。現存するローマ建築のもっとも完全な造りであるという。パンテオンとは「すべての神々の」と言う意味である。建物はコリント式の太い円柱16本でささえられている。ここにはラファエロの墓が祭られている。37歳で亡くなった彼はここに埋葬されることを遺言している。入り口付近にはローマの兵を真似て甲冑をつけた人がいる。一緒に写真に納まる商売である。またローマ時代を思わせる馬車も数台あり、客を待っている。その後はサンイグナチオ教会を見学。この教会は15世紀に活躍したイグナティウスにささげられた教会である。見事な彫刻、絵画があるが、ざっと見ただけである。次はトレヴィの泉に行く。ローマを訪れる人は誰もが訪ねる場でもある。ポーリ宮の壁面中央に刻まれた勝利のアーチを背に立つ海神ネプチューン、左右の二頭の海馬と、それを操るトリトン。建築と彫刻と水が一体になったこのバロック芸術は、1762年に若い建築家ニコラ・サルヴィによって完成されたという。大勢の人が訪れていて、泉を背景に写真を写す場がなかなか見つからない。それでもシャッターチャンスがあり、記念に収めることが出来た。「ローマへもう一度戻りたいなら、後ろ向きにコインを投げよ」と言い伝えがあり、訪れている多くの人がコインを投げ入れている。トレヴィの泉を後にして昼食時であったので、「中意飯店」と言う中華料理店のテラス席でいただく。チャーハン、焼きそば、野菜炒め、肉炒め等を食べて鋭気を養う。
 その後はマルケス劇場やフォルトゥーナの神殿等を見ながら歩き、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に行く。ここには「真実の口」が据えられているので知られている。嘘を言った者がこの口に手を入れると食べられてしまうという言い伝えがある。手を入れて写真に収めるために大勢の人が入場口で並んでいた。我々も列に加わっていると、係りの人が来て、車椅子で入れる入り口から通してくれた。そして、優先的に「真実の口」で写真を写させてくれた。待っている人には申し訳ないと思いながら、ありがたく好意に甘えた。その後は教会内を見学し、いくらかの献金をささげて教会を後にする。



サンタ・マリア・イン・コスメディアン教会の「真実の口」。
手を入れたが食べられなかった。


 テヴェレ川に沿って歩くと、川の中にティベリーナ島がある。そこには病院が建てられている。その島を横切り向こう側を歩くことになる。川に沿って遊歩道が作られているので、上の道路から遊歩道に下り、川の流れを見ながら歩くことにした。ツアーならこんな暢気な散歩は出来ないであろう。遊歩道は舗装されているので車椅子を押すのも楽であった。もっともスミさんは歩きやすい道なので、車椅子に乗らずにしばらくは歩いていた。途中、いくつかの橋の下を通る。シスト橋、マッツィーニ橋、エマヌエール2世橋、そしてサンタアンジェロ橋に着く。よく歩いたものである。しかし、歩きにくい町の通りを歩くより川沿いの遊歩道は助かった。遊歩道には自転車道もあり、時たま自転車で通る人がいるが、ほとんど人とは会わない。いろいろな水鳥を観察することが出来た。こちらのカラスは真っ黒ではなく、白い毛も混じっている。鳩だかカラスだか分からないことがある。
 大分くたびれた一日であったが、観光を堪能出来た。明日は本命のコロッセオに行く。



ローマのポスト。ポストに興味があり、必ず写真に収める。



こちらはヴァチカンにある唯一のポスト。
投函口がかなり高い。