鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <133>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<133>
2012年8月17日 「導きの源流を探りつつ③」 


聖書の言葉
つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがお出来になります。
(コリントの信徒への手紙<二>9章6-8節)



 私がキリスト者として成長してゆく「導きの源流を探りつつ」、小学生時代、中学生時代を前二回で振り返った。今回は高校生時代を振り返ることにする。中学生であったが高校生の交わりグループ「ぶどうの会」に迎えていただく。日曜学校の中学科は一度覗いただけであった。その中学科の皆さんが、高校生になり、礼拝に出席するようになって「ぶどうの会」に入ってくるのである。同じ年代なのに、迎える側であることに、なんとなく優越感をもっていたかもしれない。なにしろ中学科からの皆さんは元気が良く、いつも圧倒されるようであった。その一人が岩粼隆である。彼との出会いはここから始まるわけである。どちらかと言えば私は与党であるのに対し、彼は野党の立場であり、共に「ぶどうの会」を担うのであった。
 清水ヶ丘教会は神奈川県立商工高等学校の生徒が多く、中学生時代に「ぶどうの会」に迎えられた時、メンバーの多くは商工の学生であった。小学生時代もそうであったが、中学生時代に商工の学生の皆さんと交わるうちに、私もその気になっていくのである。横浜中学はそのまま横浜高校へ進むことができるので、中学受験に失敗している私が、また受験をすることに対して両親は反対する。しかし、それでも受け止めてくれて受験。合格できたことは両親も安心するわけであるが、私にとっては先輩の仲間入りができることで喜びであった。県立商工高校は、昔は弘明寺駅で降り、歩いて10分くらいのところにあった。横浜国大と隣り合わせに建てられていた。清水ヶ丘教会は南太田駅で降りるので、弘明寺駅の二駅先である。教会に通うにも交通費がかからなくなったわけである。そういう意味でも、高校生時代はいつも教会に行っていた。日曜日は朝から夕刻まで教会にいることになる。週日でも、文集発行や諸活動の準備で、いつも教会に出入りしていたのである。
 その頃、ミッション書籍部が作られており、山崎さん側に小さな建物が作られていた。その書籍部を何回か覗いたことがあるが、私が高校生になったころ、書籍部は閉鎖されており、その建物を利用して「ぶどうの会」の活動をするようになるのである。週日に出掛け、ガリ版の仕事をしていると、隣家の教会員である山崎さんがお茶の差し入れをしてくださる。今でも思い出に残っている。その頃はミッション診療所が医療活動をしていた。そこで看護婦として次姉清子が務めさせていただいていたのである。日曜学校の中学科は診療所の待合室で行われていた。姉が診療所にいるので、私の親は週日も教会に行くことには何も言わなかった。
 ところで「ぶどうの会」の活動は、横浜にはキリスト教主義の学校が多く、それらの生徒も多く教会に出席しており、「ぶどうの会」のメンバーになっていた。従って、活動も多く、聖書の勉強会はもちろんであるが、野外散策、修養会、クリスマスの劇、慰問の劇など、いつも何かの準備をしていたと思う。この時代に共に活動したメンバーが、今でも清水ヶ丘教会を担っていること、神様の大きなお導きとお恵みを示される。もちろん今でも交わりが深められているが、高校生の頃の諸活動、交わりが力となり、支えとなり、その後の歩みを支えることになるのである。毎年、夏になると修養会が開催される。清水ヶ丘教会出身の斎藤雄一牧師が伊豆伊東の宇佐美教会で牧会しており、その教会を会場に高校生会の修養会が開催される。斎藤牧師が在任中は出掛けて行ったと思う。海岸にも近く、海水浴をしたり、里山にも囲まれ、修養会には適していたのである。
 その頃、整地奉仕が盛んであった。まだ、教育館は建てられてなく、傾斜地になっていた。その傾斜地を平面にするべく、切り崩しが行われていたが、それを教会の皆さんが手作業で行っていた。日曜日の礼拝後に行ったり、都合の良い人は週日に来ては整地作業を行うのであった。夏休みになると、毎日出掛けることもある。整地作業は交わりも深められるが、教会形成としても良い取り組みであると思う。
 このように諸活動、奉仕、交わりが私の高校生時代を励まし、信仰的にも深められていくのである。



「ぶどうの会」によるクリスマス祝会の劇。
頭巾をかぶっている少年。



宇佐美教会での修養会。主題講演のお話を聞く。



整地奉仕。良く働いたと思う。