鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <102>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<102>
2012年5月25日 「変わらない基本を持ちながら」 


聖書の言葉
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」。これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。
(ペトロの手紙<一>1章23-25節)


 
 今日に至るまで御言葉に向かい、説教を作り、プリントにするため保存することになるが、その保存がかなりの量になっている。2007年9月から、主日礼拝の説教は保存しているからである。また、このブログにしても2006年以来、当初は毎日書いており、今は隔日にしているが、これもかなりの量になっている。「スペイン滞在記」については製本して発行しており、その他の文書も製本することにし、まず説教集の作成に取り掛かっている。CDなりメモリーに保存しておくことを心がけているが、保存のままで終わってしまうことが考えられるので、とにかく少しでも本にして発行することを考えているのである。「スペイン滞在記」を発行するため、簡易製本機を購入しているし、今回の説教集はA5版なので、用紙を取り寄せなければならない。ネットで調べて注文したら、翌日には配達される。まことに便利な世の中になったものである。文房具屋さんに行かなくても用が足りるのである。しかし、デザインや紙質等を考えると、実際に手にとって感触を調べなければならないのである。
 そんなことで、数日前に横浜にあるユザワヤに赴いた。横浜駅の並びにあるそごうデパートの中からアクアなるショッピングセンターに行ったのであった。いやはや、どこもかしこも、発展ぶりに驚く他はない。めったにこのような場所に来ないので、外国に来たような思いであった。ユザワヤはそこにあった。文具コーナーで物色したが、あまり気にいった用紙がない。むしろ大和のユザワヤの方が種類が多いと思う。しかし、ここから大和に行くのも、その気にはならないので、とりあえず妥協して決めたのであった。
 ところで横浜駅の広々とした構内を歩きながら、50年も昔のことを思いうかべていた。京浜急行から相鉄線まで構内を歩いて行くのは今と変わらないが、その構内は5メートルもあったろうか。その狭い通路をその頃も大勢の人が歩くので、牛歩の如くであったのである。そして西口付近もあまり店もなく、それでも本屋さん等には出掛けたものである。神学校に入るのは23歳であるから、その頃も狭い横浜駅の構内であったのである。その後、神学校がある目白の生活を6年、結婚して芝白金2年、六郷土手で2年、その後は宮城県で6年半、そして綾瀬市で30年半を過ごして、再び横浜に住むようになり、何かと横浜駅を利用することになる。もっとも、これまでだって実家に来ること度々であったので、少しずつ変化していく横浜駅の様子は心にとどめている。綾瀬に住むようになって、横浜に出てくることが度々あった。少しずつ変化していることは示されていた。
 今回、横浜駅の構内を歩きながら、その発展ぶりに驚いたのである。本屋さんに触れたが、栄松堂書店であった。小さな店であるが、その頃、本にカバーをつけてくれるのが珍しく、喜んだものである。ジョイナスができて4階に大きな店舗に発展した。綾瀬に住むようになって、横浜に出れば立ち寄ったものである。その栄松堂も2010年7月には閉店となっている。最近、その辺りには出掛けてないので、どのようになっているのか。
何かと昔を思い出すのであるが、いわば歴史の証人になってしまった。それはそれで意味があると思っている。昨年、4月5月に娘の羊子がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているので赴いた。その時、マンションの隣の部屋の方からお茶に呼ばれ、われら家族がお邪魔したのであった。聞けば生まれたときからこの家に住んでおられる。もう80歳を超えている。目の前にあるサグラダ・ファミリアが次第にできあがっていく様を見ておられるし、町の変貌を見つめながら今日まで過ごしてきたと言われる。同じ場所で、少しずつ変化していく外の様子を受け止めながら歩む人生は、多くの場合、人々の歩みなのである。歴史の証人はただ驚くばかりではなく、その中にいる自分を導いている神様の御心を求めなければならないということである。周囲は変わるが、御言葉はいつの時代でも変わらないのである。



お隣のロリーさんは昨年で82歳。後ろの窓からサグラダ・ファミリア
見えるが、生まれたときから見続けている。