鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <101>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<101>
2012年5月23日 「すべてを喜び」
 

聖書の言葉
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言をする賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
(コリントの信徒への手紙<一>13章1節〜7節)


 
 久しぶりに結婚式の司式をする。つらつら思い出しているが、どなたの結婚式以来なのか、なかなか思いだせないのである。パソコンのデータを調べてみたが、今使用しているパソコン以前に司式を担当しているようで、今のパソコンには記録がない。以前のパソコンは処分しないでいるので、いずれ開いてみることにする。また、CDでも保存しているので調べてみることにしよう。葬儀のデータは残されているが、結婚式のデータがないということは、それだけ結婚式の司式が少ないということである。司式をしないでお祝いに出席したことは、この数年でも思い出せるが、司式については思い出せないのである。しかし、結婚式司式を担当した時には、多くの場合、私が式次第を作るので、それらのファイルがあるはずである。2年前の引っ越しで、未だにダンボールの中におさめられているのであろう。
 この度の結婚式司式についても、もう久しく司式をしていないので、辞退しようかと思った。しかし、花嫁さんになる方が、ぜひと言われ、私の司式で結婚式を挙行するのが夢であったと懇願される。そこまで言われては喜んで司式をすることになる。2012年5月19日、結婚式挙行となった。祝福された結婚式であったと思う。私自身も久しぶりの結婚式司式であったので、いささか緊張しつつ臨んだのであった。久しぶりに現役時代の感触が戻ったようで、結婚式司式と共に式次第も引き受けて作成したのである。自分ながら良い出来栄えと思っている。
 大塚平安教会は若い世代が着実に教会員として力強く歩まれていることを喜んでいる。それらの皆さんを心にとどめるとき、あの夫婦も、この夫婦も私が結婚式司式を担当したことが思い出される。いずれの皆さんも教会の力強い柱となっていることを喜び、感謝しているのである。そして、結婚された皆さんのお子さんたちも立派に成長されているのである。
 結婚式で忘れられないのは、どなたの結婚式も忘れられないが、宮城県の教会時代が懐かしく思い出される。教会に若い青年男女が来られ、教会で結婚式を挙げたいと申し出られるのであった。その青年達が住んでいるのは隣の町であり、そこにも同じ日本基督教団の教会があり、そこの牧師とは親しくしている。それで、その教会にお願いすることを勧めるのであるが、ぜひこちらの教会で式を挙げたいと言うのである。いろいろお話を聞くと、彼は一人息子であり、彼女も一人娘の家庭なのである。それぞれ農家であり、彼女の場合はお婿さんに入ってもらって農業を維持していく姿勢である。しかし、彼の家も息子を婿に出すわけには行かず、お嫁さんに来てもらわなければならないのである。隣の教会の牧師はその辺りの事情を良く知っており、二人の結婚式は反対しているようである。だから、隣の町からわざわざ頼みに来たのである。事情は分かるが、申し出てきたのであるから引き受けることにした。そして当日を迎える。彼の家族はもちろん出席しているが、彼女の家は誰も来ていなかった。そして友人たちが来ていた。その時、友人たちの数人が私のところに来て、この結婚式を中止にしてもらいたいと言うのである。同じ農家として、両方の家の事情を知っているので、この結婚式は止めてもらいたいと言うのであった。花婿さんも花嫁さんも礼拝堂の隅の方で泣いていた。私は事情は分かるが、二人の愛を祝福したいと決断する。結婚式を挙行したのであった。彼の家族と友達と少数の列席者であったが、皆さんは涙を流しつつ結婚式に臨んだのである。結婚準備の時、二人には、彼女の家に対して誠意を持って対処するように勧めたのであった。彼らは、もちろん反対している彼女の家に対して、何があっても誠意を尽くしたのである。やがて、数年後であるが、彼女の家とも行き来するようになり、彼らは祝福の生活をするようになったのであった。農業を営みつつ、新しい挑戦をしながら歩んでいる姿を見ながら、私たちは大塚平安教会に赴任するため、宮城県を後にしたのである。大塚平安教会時代、連れ合いのスミさんが宮城県の美味しい「ササニシキ」米をとりよせては皆さんにお分けしていたのは、彼ら夫婦から取り寄せていたのである。
 結婚式司式では、神様の愛に生きるよう勧める。人間の愛は、すなわちエロースは、男女の愛にしても、親子の愛にしても、友達との友情としての愛にしても、自分が中心なのであり、自分の愛は限界もある。しかし、神の愛、すなわちアガペは、自分を超えることであり、自分の前にいる存在を、自分の気持ちを超えて受け入れることなのである。エロースの愛を深めながらも、アガペの愛に生きることが祝福の結婚生活の基になることをお話したのであった。神様の前で結婚式を挙げると言うことは、アガペを実践して生きる約束なのである。お二人にはそのお勧めをしたが、今では思い出せなくなっている私の司式で結婚式をされた皆さんにも、改めてアガペの愛に生きていますか、と問いつつ、祝福の家庭をお祈りしている。



アガペの愛を約束する二人の結婚式。