鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <103>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<103>
2012年5月28日 「命に至る実を集めつつ」
 

聖書の言葉
エスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、借り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」
ヨハネによる福音書4章34-36節)


 
 昨日は聖霊降臨祭、ペンテコステであり、六浦谷間の集会も聖霊をいただく喜びを持ちながら礼拝をささげる。追浜の小澤八重子さんも出席され、3人で礼拝をささげたのであった。小澤さんは寒い冬の間は外出されなかったが、暖かくなったので出席されるようになっている。月に一度であるが、出席されれば、大きな声で聖書を読まれ、讃美歌を歌うので、お元気に過ごされていることを示されるのである。大塚平安教会での出会いが、今も導かれていることを感謝しているのである。4月と5月は私達夫婦の他に知人が出席してくださり、私達夫婦二人だけの礼拝は4月15日と22日だけであり、他は3人以上の出席になっている。4月1日は娘の羊子が帰国していたこともあり、知人が出席してくださったので10人の皆さんで礼拝をささげたのであった。この六浦谷間の集会は2010年11月28日から礼拝をささげ始めているが、それから1年半になっている。当初は礼拝順序のみを作成していたが、週報を発行するようになったのは、昨年の2011年5月29日の礼拝からあり、週報発行1周年を迎えていることになる。昨年は4月4日から5月18日まで羊子がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているので、連れ合いのスミさん、娘の星子と共に赴き、羊子の活躍ぶりを体験したのであった。早くもそれから1年を経ている。帰国してから、礼拝において、単に礼拝順序のプリントではなく、週報発行へと導かれたのは聖霊の導きであると信じている。
 聖霊降臨祭は教会ができた日でもある。その意義を示されながら、この六浦谷間の集会も聖霊の導きをいただいていることを示されているのである。ところで、このペンテコステは連れ合いのスミさんにとって洗礼記念日なのである。1961年5月21日、東京・高輪教会にて中島房男牧師より洗礼を受けている。今年で51周年となる。私の場合は1957年10月6日、横浜・清水ヶ丘教会にて倉持芳雄牧師より洗礼を受けているので55周年になる。夫婦共に信仰50年以上を歩み、職務的には隠退しているが、今でも六浦谷間の集会として、礼拝をささげることの導きをいただいているのである。
 ブログは隔日に記すようにしており、月曜日の午前中には公開している。しかし、今日は夕刻になってしまった。連れ合いのスミさんのご用命で、庭仕事をしなければならなかったからである。昨年も今ごろ、庭に垣根を作っている。ハヤトウリやゴウヤを垣根に這わせるためである。昨年は、それでも結構収穫があり、お隣近所にもおすそ分けするほどの収穫であった。小さな庭であるが、連れ合いのスミさんは花の園芸と共に野菜栽培もいくつか行っており、夫婦二人で楽しむくらいの収穫をしているのである。垣根作りは日よけにもなる。夏の暑い日差しを遮ることができ、一石二鳥と言うことになる。




連れ合いのスミさんのご用命で垣根を作る。
そのうちなりものが垂さがるであろう。



庭の手入れをする連れ合いのスミさん。


 晴耕雨読のように、毎日外仕事をして、雨であれば読書三昧に明け暮れることであればよいのであるが、私の場合はそうではない。庭仕事はもっぱら連れ合いのスミさんの喜びであり、私は少なくとも午前中はパソコンに向かっている。午後は読書か整理をしており、夕刻には散歩に出かけているのである。そのような呑気な歩みであるが、毎月第二日曜日には横須賀上町教会の礼拝説教及び聖餐式執行、6月19日には神の庭・サンフォーレの礼拝説教が予定されている。その神の庭・サンフォーレにおいては「支える会委員長」を担っている。7月2日には日本聖書神学校フィールドワークを担当することになっている。その他、月に二回、横浜市立大学のエックステンション講座「ヴェネツィアルネサンス絵画の巨匠たち」を受講している。暇であるとは言いながら、結構予定があるということ、元気に導かれていることを感謝しているのである。