鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <64>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<64>
2012年2月27日 「原点を示されながら」 


聖書の言葉
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」。イエスは言われた。「起きあがりなさい。床を担いで歩きなさい」。すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
ヨハネによる福音書5章1-9節)



健康については注意しているつもりであるが、やはり改善しなければならないことがいろいろあるとは思っている。食べ過ぎに注意、適度な運動をすることなど、心がけてはいるが、実際に健康チェックも必要である。2月16日に近くの横浜南共済病院で連れ合いのスミさんと共に特定健診を行う。ドレーパー記念幼稚園在任中は私学共済に加入していた。退任した時、保険に関しては2年間に限って保険任意継続ができるので、そのまま加入しているのである。ありがたいことに健康管理もしてくれている。特定健診の無料受診券が送られて来る。昨年度も送られてきて、今頃の時期に受信した。丁度一年経つので、受診することにしたのである。任意継続は今年の3月までであり、今回で終わりとなるからである。特定健診であり、人間ドックのように多方面の検査では無い。だからレントゲンも心電図の健診もない。尿検査、血液検査で内臓をチェックするのである。
 他に体のチェックもある。身長、体重、メタボ測定である。若いころの身長は172センチメートルはあったが、今回の測定は169である。やはり年をとると縮こまるようだ。体重は60キログラム、昨年は63であったので3キロ減っている。数年前は65であったが、年々減少している。そしてメタボは81センチメートルに減少している。昨年は84であったが、随分と細くなったものである。これは散歩の成果と言える。昨年の測定は散歩を始めて半年も経ていなかった。2010年10月から無任所教師になり、散歩して徘徊するようになった。翌年の2月に測定したので、成果が現れていなかったと言える。昨年から一年を経たが、ほとんど毎日散歩しているので、成果が確実に現れたというわけである。万歩計によると「シルクロード」1200キロメートル完歩した。それについては2月20日のブログ「歩いて、歩いて、歩いて」と題して書いている。とにかく散歩することは体に良いようである。時たま大塚平安教会やドレーパー記念幼稚園に寄り、皆さんとお会いするのであるが、皆さん口をそろえて言われることは、「お痩せになりましたね」ということである。歩くということがどんなにか体に良いか、つくづく示されているのである。



横浜南共済病院のたたずまい。


 今回、横浜南共済病院で特定健診をしたのであるが、この横浜南共済病院については深い思い出がある。この病院は国家公務員共済組合連合会の運営であるが、昔は共済会病院と称していた。私が日曜学校に通うようになることについては、しばしば記しているが、母の入院がこの共済会病院であった。入院している母を、見知らぬ子ども達が病室を訪ね、花を贈って見舞ってくれたのである。それは6月の第二日曜日であり、教会では「こどもの日・花の日」である。近くの教会の日曜学校の子供達が母を見舞ってくれたのである。その後、母は退院した時、私を連れてその教会の日曜学校に出席する。花の日の御礼と、これからは息子が出席しますからと挨拶するのであった。私の意思ではなく、母の願いのもとに、それからは毎週のように日曜学校に通わされたのである。私が小学校3年生の時である。自分の子供もよそ様に喜んでもらう、そのように成長することを願った母なのである。その願いは、私を牧師への道へと進ませることになったのであった。散歩の時にはいつもこの病院の前を通るのであるが、私が牧師になる原点の思いで、建て物を見るのであった。
 もう一つの深い思いである。この共済会病院で目の治療をしたことである。私はいつも右の目の涙を拭いている。涙道が細く、その働きが低下しているのである。先天的なもので、小学生の頃、この病院に通うようになる。涙道の閉塞部分を開くための治療であり、金属製の細い棒を涙点から挿入する。金属棒を挿入したまま、1時間くらい座っているのである。極端な痛みは無かったが、この治療は嫌でたまらなかった。ある程度通ったが治る気配が無く、結局そのままの状態で今日に至っているのである。そのため定期的に涙を拭かなければならない。いつも泣いているように見えるのである。お葬式の場合は良いのであるが、会議で論議しているときに涙を拭かなければならないこともある。私がいつも涙をぬぐっており、それはある意味では目の障害であり、そのことを知っている人がハンカチを贈ってくださる。おかげでハンカチは趣味と思えるほどたくさん持っている。
 横浜南共済病院は子どもの頃から関わりがあり、今回は健診であるが、いずれ全面的にお世話になるのであろう。私の原点がこの病院にあることを示されているのである。この時、聖書のベトザタの池を示される。池の周りに回廊があり、多くの人が回復を願っている。「良くなりたいか」と問うたイエス様の声が聞こえてくる。