鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <53>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<53>
2012年2月1日 「喜びと真心をもって」 


聖書の言葉
すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
使徒言行録2章43-47節)



早くも2月になり、寒い寒いと言っているうちにも4日は立春である。暖かい春の歩みが始まりつつあるのである。この寒さの中で散歩に出かけるのは、いつも気後れがするのであるが、歩き始めると欲が出て来て、今日は一万歩を目指す気持ちが湧いて来るのである。
ところで2月になると、いつも思い出すのは、ドレーパー記念幼稚園在任の頃、子どもたちとお弁当を一緒に食べていたことである。3月に幼稚園を卒業する子供たちとお弁当を食べていた。毎回、5、6名の子ども達が園長室にやってくる。子ども達は、今日は園長先生とお弁当を食べるんだというわけで、興奮しながらやってくる。カバンからお弁当を出し、食べる用意をする。食前の感謝のお祈りは園長先生がささげる。クラスでは皆で感謝の歌をうたい、一緒に定められたお祈りをささげてから食べるのである。グループでやって来たお友達は、いつもとは違った環境でもあり賑やかなお弁当の時間となる。何がおかしいのか、けらけらと笑いながら食べる。お話ばかりしているので、少しもお弁当が進まない子どもがいる。子ども達は一緒に来て、一緒に帰るので、お話ばかりしていたお友達のお弁当が終わるまで待っていなければならない。早く、早くと急かされて、あわてて食べるお友達がいる。

他の幼稚園では給食が多いが、ドレーパー記念幼稚園は最初からお弁当持参である。お弁当を作るのが面倒であるとの理由で入園を遠慮する保護者がおられることは聞いている。園児数を多くするためにも給食を始めたらどうか、とのご意見をいただくのであるが、お弁当は幼稚園の方針でもあるのだ。だいたいお弁当を持参できるのは幼稚園の時代であり、小学校に入ると給食になる。せめて幼き時にお母さんの愛情あふれるお弁当を、しっかりと体にいただきたいのである。あるお母さんは、毎日のお弁当を写真に写しており、アルバムを見せてくれたことがある。一ヶ月、毎日愛情あふれるお弁当を用意するのは大変であろう。しかし、お弁当作りはお母さんの喜びなのである。降園となり、お母さんが子供を迎えに来た時、自分のお子さんが、今日は園長先生とお弁当を食べたんだ、と報告する。「あらまあ、知っていれば」と弁解するような言葉を聞く。それだったら、もっと良いお弁当を作ったのにとも聞こえる。どんなお弁当でも子ども達は喜んで食べている。お友達がパンダの顔とも思える総菜のお弁当を食べているとしても、スパゲッティーだけのお弁当はお母さんが作ってくれたものであり、美味しくいただくのである。決してお友達のお弁当と比較することはないのである。
ドレーパー記念幼稚園はハンディキャップを持つ子供達を受け入れている。ある時はそういうお友達を交えたグループがやってくる。お友達はちゃんと介助してあげているのである。まず、その子のお弁当をカバンから出し、食べられるように並べてあげる。そして、自分のお弁当の用意をするのである。なかなか食べ終わらないそのお友達のために、それこそ忍耐を持って待ってあげるのである。そして一緒にクラスに戻って行くのであった。
子どもたちとお弁当を食べるようになったのは、同じキリスト教主義の幼稚園園長の取組みを聞いたからである。その幼稚園は、お弁当ではないが、数人の子どもたちと園長がお茶のひとときを持つのだという。そのために案内状を出すので、招かれた子ども達は、それなりにおしゃれをして来るのだという。お茶とクッキーを食べながらのひとときは子どもたちにとっては喜びの時である、との取組みを聞き、それなら我が幼稚園ではお弁当を一緒に食べることにしたのであった。幼稚園の増改築をしたとき、立派な園長室を造ったので、その園長室での会食となった。しかし、その後は園長室がパソコン等機器が多くなり、会食が出来なくなる。それで教会の集会室でお弁当を食べるようになったのである。教会には年長組になると、月に一度、会堂礼拝でやってくる。それでも幼稚園とは異なる場所での会食は楽しいようである。
会食をしながら、どんな小学校に行くのか、大きくなったら何になりたいか等、それとなく聞きながら過ごすのであった。多くの子ども達が園長との会食をして卒業して行くのであるが、幼稚園を思い出しても、会食のことは忘れてしまっているだろう。しかし、全体的にこの幼稚園で過ごしたことは、お友達と共に歩むことが深く示されているであろう。一人の存在を見つめ、共に過ごすこと、そういう子どもたちに成長していることを喜んでいる。2月を迎え、ドレーパー記念幼稚園の卒業生を祈る季節になっている。



こちらはクラスでお弁当を食べる。
楽しいひとときである。