鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <52>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<52>
2012年1月30日 「証しの数々」 



聖書の言葉
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
ヨハネによる福音書21章24-25節)



 前回は日本キリスト教海外医療協力会の「総主事通信」について記した。海外で働くワーカーの皆さんのお証を示されたのである。毎月配信されるもう一つの楽しみがある。それは「バルセロナ日本語で聖書を読む会月報」である。毎月発行されており、今回は83号をお送りくださった。中心になって「聖書を読む会」を担う下山由紀子さんが発行されているのである。約7年間も発行されていることになる。写真入りでA4版4頁にわたり、メッセージの要約、証し、諸報告、祈りの課題等が掲載されており、ヨーロッパにおける各地のキリスト者の活動を知ることができ、私自身大変参考になり、また教えられてもいるのである。
 下山由紀子さんとは昨年4月、5月に連れ合いのスミさんと娘の星子と共に、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子のもとに行った時、出会いの時が導かれたのである。「バルセロナ日本語で聖書を読む会」の下山由紀子さんが羊子に声を掛けてくださり、羊子もその会のメンバーに加えていただいている。一ヶ月半の滞在であったが、その「バルセロナ日本語で聖書を読む会」の礼拝を二度ほど担当させていただいた。また、下山さんには滞在中にいろいろとお世話になっている。ぜひお連れしたいと言われてモンセラット見学を星子と私をご案内くださったり、生活においても何かとご助言くださったのであった。昨年の7月には娘さんと共に一時帰国され、私共の家にお訪ねくださっている。驚いたことに同じ金沢区にご実家があり、こんなに近い関係であることを示されたのであった。



バルセロナ日本語で聖書を読む会月報」第83号の第一面。



第82号第四面。ヨーロッパ各地の集会の皆さんを紹介している。



バルセロナ日本語で聖書を読む会」20周年記念誌の表紙。



 「バルセロナ日本語で聖書を読む会」は1991年の秋から始められ、昨年の2011年秋をもって20年になり、「20周年記念誌」を発行されている。私もバルセロナ滞在中、その企画のさなかであり、求められてお祝いの原稿を書いたのである。それについては昨年のブログ「スペイン滞在記」、4月28日付で記している。
 「バルセロナ日本語で聖書を読む会」はバルセロナ在住の日本人の集いである。メンバーの皆さんはスペイン人と結婚されている方、仕事や勉学で一時的にバルセロナに滞在される方、求道者も含めて集会を開いている。仕事や勉学で一時滞在の方であっても、集会の皆さんとのお交わりを喜ばれ、いつもご連絡をくださっているのである。そうした皆さんの消息を月報に記されているので、一期一会であったとしても、お祈りに覚えさせられるのである。下山由紀子さん自身月報発行を次のようにコメントしておられる。
バルセロナの月報はもともと、集会をお休みしたメンバーがいつ戻っても話についていけるようにと作成しはじめたものですが、メンバーが帰国されても引き続きお送りしたり、欧州各地と交流をもつようになってからは祈ってくださる方々への近況報告として、また各地にちらばる宣教師の方々にいらしていただけるよう案内も兼ねていくという広がりを持ちました。ただ皆さんお忙しい方が多く、そうした方々に読んでいただくためには極力文字数を少なくまとめることが不可欠となるのですが、最近はだらだらと長くなってしまい反省しています」。
 この度の月報83号で下山由紀子さんがお証をされているので、ブログをお読みくださる皆さんにもご紹介する次第である。


小さな証: この証は集会HPに載せているので多くの読者がご存じと思いますが、「氷点」を観ていて、陽子の中に昔の私自身をかいま見る思いがし、この証を思い出したので掲載させていただきます。
「しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、私は血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。」
エゼキエル書を読み進んで16章まできたとき、5〜6節の言葉に私の胸は貫かれました。生まれるなり捨てられた子が自分の血にまみれてもがいている。その傍らを主が通ってご覧になり、「生きよ」と言われたくだりです。『わたしは血まみれのお前に向かって「生きよ」と言ったのだ』という文章が2度繰り返され強調されています。私に思い当たる節がありました。
小学校3年で千葉から横浜に引っ越すまで底抜けに明るく積極的で自信に満ちた少女だった私は、横浜でも同じように振舞いました。しかし都会っ子のクラスメート達は、私が親から受け継いだ地方の言葉を種に私を笑いました。この嘲笑を気にした私は萎縮して徐々にものが言えなくなり、言い返せない私を周囲は更に利用し、ついに本格的ないじめへと発展してしまいました。 嘲笑、暴力、盗み、侮辱などに苦しむ毎日でしたが、挨拶をしても誰も返してくれない、話かけても誰も相手になってくれない、無視という精神的な暴力がとてもつらい毎日で、自分がまるで彼らの目に見えない存在かのような年月を送るうち、自分は存在価値のない者だと思うようにすらなりました。この頃私は常に友達を切望しながらも級友達を恨んでいました。
親も先生も理解してくれないこの苦しみから逃れるためにわざわざ学区外の高校に入って新しいスタートを切ったものの、私はすっかり対人恐怖症になっていたので、クラスメートはしばらくして私を遠ざけ気味悪がるようになりました。ここに来てはじめて、いじめの原因は私自身にあると察知し、恨むべきはクラスメートではなく自分になりました。
存在価値のない私が自分を恨みつつ生きている意味はない。自殺願望は日に日に増すばかりでしたが実行する勇気も出せないまま、私は私が出血した心の血の中でもがいていたのでした。 そんなある日、級友のひとりが学校で発熱しました。友達欲しさから私は保健室に走っていって彼女のために何かを探し、冷たい水で濡らしたタオルを彼女に持っていったとき、彼女は私に「ありがとう」と言ってくれました。そしてこの言葉は私を心底打ちのめしました。こんな暖かい言葉はもう何年もかけられていなかったからです。 自分にも人に感謝される価値がある。
この時以来、私はこの喜びを求め、「仕えて生きる」がテーマになり今に至っていますが、先日このエゼキエル書を読んだとき、そうだったのかと稲妻に打たれた思いでした。あの時、主が血まみれの私の傍らを通って「生きろ」と仰ったのだ、あれは神の業だったのだとはっきり自覚したのでした。主の御名を心から賛美します。 (下山 由紀子)


 今後とも「バルセロナ日本語で聖書を読む会月報」を楽しみにしている。間もなく100号にもなるので、改めてお祝いしたいと思っている。