鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <42>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<42>
2012年1月6日 「一年に一度のお便りなれど」 


聖書の言葉
わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。
(コリントの信徒への手紙<二>2章4節)



新年の楽しみは、やはり年賀状をいただくことであろう。一年に一度のご挨拶と言うことになるが、昨年のお正月にいただいた年賀状から、一年後もお元気に過ごされていることを知り、心が温まるのである。1日は横須賀上町教会の礼拝を担当したので、午前中は不在であった。そして午後に帰宅して、早速郵便受けからいただいた年賀状を取りだす。その時感じたことは、「少ない」ということであった。大塚平安教会在任中は、それこそどさりと束ねた年賀状を郵便受けから取り出したものである。200通は超えていたのであろう。ところが今年は、明らかに「少ない」と思える束であり、80通くらいであった。当然であろう。もはや現役を退いているのであるから。現役の頃は教会員の皆さん、幼稚園関係、施設の皆さん、いろいろな役職を持っていたので、関係者の皆さんからの年賀状をいただく。しかし、1日は少なかったが、その後日を重ねるごとに配達され、100通は超えることになった。「少ない」と言うのではなく、隠退したにも関わらず、年賀状をくださることで感謝をしなければならないのである。
年賀状でいろいろなご挨拶が記されているが、写真入りは楽しいものである。特にお子さんたちの写真を毎年印刷されては送られるので、成長ぶりを知ることになり、今後の成長を楽しみにさせられるのであった。新年のご挨拶だけで、他には何も書いてないとしても、私達を覚えて年賀状をくださることだけでも喜びと思っている。
我が家の年賀状は、もう何十年と家族の写真を入れていた。その年賀状をファイルしてあるが、自分で見ても、子ども達の成長の過程を見ることができ、我が家の歴史としている。従って、一年を歩むうちでも、例えば家族で旅行をすれば、年賀状用の写真を写しておいたものである。旅行の写真がなければ、わざわざ家族の写真を撮ったりしている。そのような歴史を持っていたが、今年は家族の写真を年賀状に入れるのを止めにした。夫婦だけの写真にしたのである。ご挨拶としては子ども達の消息を記すが、老夫婦の姿をお届けすれば良いのではないかと言うことにしたのである。昨年4月5月にスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子のもとに行った。その期間、ブルゴスという街で羊子のピアノコンサートが企画されており、一緒に行く。その時、街の中に置かれていた老夫婦の彫像が楽しく、記念に写した写真を年賀状に入れたのであった。
年賀状は皆様に差し上げたが、差し上げなかった方もあり、このブログで年賀状をさし上げることにしたい。


祝聖誕・祈新年
主のご降誕のお喜びと共に、祈りつつ新年を迎えられたことと存じあげます。皆様の上に神様の祝福が豊かにありますようお祈りいたします。昨年6月をもって隠退牧師になりましたが、基本的には六浦谷間の集会として自宅で礼拝をささげ、また諸教会の講壇に立たせていただいています。のんびりと過ごす私達夫婦の生活はブログで報告しています。羊子、星子、百合子ともそれぞれ元気に歩んでいます。昨年4月5月は羊子のいるスペイン・バルセロナに行ってまいりました。羊子は日本の災害復興コンサートでピアノ演奏の協力をしています。星子は介護福祉の仕事をするようになりました。百合子は整体師として皆様に喜ばれています。お暇な折にはいつでもお立ち寄りください。
2012年