鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <41>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<41>
2012年1月4日 「いろいろな願いを持ちつつ」 


聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
ヨハネによる福音書4章23-24節)




2012年の年が始まり、それなりに思いを改めて歩みたいと思っている。そういう意味でも年が改まると言うことは、もう一度自分を見つめることができるのである。無任所教師、隠退教師を担って一年を過ぎており、初期の目標は今までの整理をすることであった。しかし、一向にはかどっていない。相変わらずダンボールに詰め込んだまま、戸棚の中に押し込んだままである。今年の目標を上げるなら整理整頓であるである。また、諸文書の整理も課題になっている。あまり大きな目標を掲げないで、身の周りの整理から始めることにする。もう今年は73歳になるのだし、この世の整理が必要なのである。
今年は1月1日が主日礼拝であり、横須賀上町教会の礼拝を担当した。まず子どもの礼拝が開かれた。いつも出席している子ども達は来ないで、別の子ども達の2名と保護者の皆さんの10名の礼拝であった。続いて新年礼拝である。礼拝の司会も説教も共に担いながら礼拝をささげたのであった。こちらも礼拝出席10名である。だいたいいつもの通りの出席者である。礼拝後は軽食をいただいたのであるが、お雑煮を用意してくださり、ありがたく頂いたのであった。お正月の朝はお雑煮をいただくものであるが、この日はゆっくりいただく時間もなく、従って教会でいただいたお雑煮で、初めてお正月の気分になったのである。
帰宅して、いただいた年賀状を読んだりしているうちにも午後3時となる。最近はこの時間に散歩に出るのである。最近は意欲的に取組み、2時間の散歩を目標にしている。すなわち1万歩を目標に歩いているのである。家から丘に上がる92段の階段を踏みしめ、それから追浜、天神橋、野島、金沢八景駅六浦駅と周ると2時間である。追浜には雷神社があり、いつもはひっそりとしている神社であるが、大勢の人が訪れていた。初詣と言うわけである。境内地が混雑するほどのにぎわいである。元日はどこの神社も大勢の人々が初詣に行く。それから金沢八景駅の近くに瀬戸神社があるが、ここも初詣の人々で混雑していた。境内地からあふれて、道路も境内地に入るために並んでいるのである。ここも普段はひっそりとしている神社であるが、この混雑ぶりが日本人の姿なのであろう。



野島のたたずまい。山頂には展望台があり、東京湾を眺めることができる。



野島に渡る夕照橋。少年の頃、この欄干から海に飛び込んだものである。



昔の木の橋から造り変えられており、全国橋百選の一つになっている。



平潟湾。昔はもっと広かったが埋め立てが行われ、これだけの湾である。
遠くに富士山も見える。右は鉄道のシーサイドライン




お正月に初詣をする日本人の習慣は、キリスト教でも御多分にもれない。前任の教会時代、神奈川教区湘北地区と称していたが、1月1日には地区合同新年礼拝をささげるのである。毎年、どこかの教会を会場にして開いていた。地区内17の教会・伝道所があるが70、80名の皆さんが集まるのである。1979年9月から大塚平安教会に就任したが、1980年の地区合同新年礼拝が大塚平安教会で開催され、私が礼拝説教を担当する。新任の牧師が担当することになっていると言うのである。まだ、地区の事情も良く分からないのに、新任の牧師が担当するのはいかがなものかと思ったのであるが。その礼拝では聖餐式が執行される。そこで受けた印象が今でも忘れられない思い出、示しとなっている。その時の配餐係りが相模原教会の今は天におられる伊藤忠利先生であった。先生は会衆に配餐をして、今度は御自分が聖餐をいただくのであるが、その場にひざまずき、パンをおしいただいて聖餐に与ったのである。メソジスト教会の信仰の姿勢である。私はこのような姿勢を初めて示されたことであり、強烈な印象、示しとなったのである。私の生まれ育った教会は横浜にある清水ヶ丘教会である。福音同胞の流れを持つ教会である。神学校を卒業して青山教会の副牧師になる。この教会は長老主義の教会であった。さらに宮城県の陸前古川教会に赴任するが、こちらも旧日本基督教会の流れを持つ教会であった。そして、大塚平安教会に就任する。大塚平安教会はメソジスト教会の流れを持つ教会なのである。しかし、私が赴任したころはメソジスト教会の伝統的なことは見られなかった。教会員の中にはメソジスト的な信仰に生きておられる方がおられることは確かである。従って、伊藤忠利先生の聖餐式に対する姿勢は初めて知ることになるのである。メソジスト教会でなくても、聖餐式に対する姿勢はどの教会も、牧師も、信者も同じである。主の聖餐が信仰の基であるからだ。
2012年を迎え、六浦谷間の集会もいよいよ導かれて歩みたいと願っている。今年は聖餐式を執行して歩むことを示されている。