鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <37>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<37>
2011年12月24日 「寛ぎのひとときを与えられ」 


聖書の言葉
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜なものだから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
(マタイによる福音書11章28-30節)



クリスマスのお祝いの時期は、教会の皆さんにとっては、その準備等で忙しく過ごされているであろう。私も在任中は多忙な日々であった。10回もお祝いの集いを開いていたことについては既に記している。クリスマスの準備は、皆さんに諸集会のご案内を差し上げること、またカードを差し上げること、洗礼者がおられればお祝いの聖書にメッセージを記すこと、諸集会の奨励を準備すること、何かと準備に明け暮れていたことが思い出される。クリスマス前は多忙である、とは固定観念になっていたが、昨年10月より教会の現場を離れたので、職務が無くなる。昨年は職務がないということで、なんとなく落ち着かなかったが、今年は職務から離れて二年目になる。気持ちもすっかり隠退牧師の身になってしまった。そのように気楽な日々になって思いついたことは、忙しく過ごしている皆さんには本当に申し訳ないのであるが、たまには温泉に行くことにしたのである。私学共済には幼稚園を退職後、二年間は任意継続の組合員でいられるので、その制度の適用を受けつつも、来年の3月で終了することになる。ここはひとつ得点を生かして温泉に入ること、連れ合いのスミさんと意気投合したわけである。12月20日は神の庭・サンフォーレのクリスマスの集いで秦野まで行くので、そこまで行くのであるから帰りに赴くことにしたのである。サンフォーレのクリスマスは祝会の途中で失礼し、秦野に知人が入院しているので、お見舞いしてから私学共済の湯河原・敷島館に向かったのである。そして敷島館に着いたのは5時30分頃である。



こんなにご馳走をいただき、皆さんに申し訳ないと思いつつ。



夕食は6時30分からいただくことにして、まず温泉に入り、冷えた身体を温めたのであった。この敷島館には今までも何回か宿泊している。私学共済の事務研修会の会場が敷島館で、温泉に入りながら研修をしたことが思い出される。その他、友人たちとも利用したことがあるが、家族で利用したことについては思い出されない。ここのところ家族で宿泊旅行をすることがなかった。少なくとも2006年からはしていない。それまでは毎年のように家族の宿泊旅行をしているのである。実は2006年には、60年間存立した六浦の家を解体し、新しく建てなおしたのである。せっかく新しい家を建てたのであるから、どこにも出かけないで新しい家を楽しもうということにしたのである。2006年に新しい家が造られても、まだ大塚平安教会在任中であり、引っ越すわけにもいかず、無人の家であったのである。従って、夏休み、冬休み等は別荘に来る思いで泊まりに来たのであった。月に一度は泊まりに来るようにしていた。そして本格的に住むことになるのは2010年4月からである。
以上のような事情で、ここ数年は家族で温泉に行くことはなかったが、この度の温泉旅行は本当に久しぶりになったというわけである。2005年8月29日〜30日に、羊子が帰国していたこともあり、箱根方面に家族旅行しているが、それ以来の旅行となった。もっとも4月、5月には連れ合いのスミさん、次女の星子と共にスペイン・バルセロナの羊子のもとに行き、楽しい旅をしている。夫婦二人だけで出かけたのは、2002年12月29日〜30日に箱根湯本の吉池旅館に出かけている。それ以来の夫婦の旅であった。
温泉に入り、ゆっくり食事をいただき、寝る前にも温泉に入り、夜は熟睡し、朝起きれば温泉に入り、そして用意された食事をいただく。本当に寛いだひとときであった。また、こようね、と言うのであったが。