鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <36>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<36>
2011年12月22日 「祝いの集いを重ねつつ(3)」
 

聖書の言葉
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
ルカによる福音書2章28-32節)


秦野にある「神の庭・サンフォーレ」のクリスマスの集いが12月20日に開催された。午後2時30分からであり、六浦の自宅を12時40分頃に出かけたのであった。車で赴いたが、横横道路から保土ヶ谷バイパス、そして東名高速で秦野・中井インターで抜けるコースである。この日は20日、いわゆる五十日であるので混雑するかと思っていたが、案外車の流れが良く、1時間と少しで到着してしまった。神の庭・サンフォーレについては、2011年11月11日「高齢者支援と支援されつつある今」と題して記している。そこでサンフォーレの紹介をしているので、ここでは割愛する。今回は何も担当しなかったが、シニアの皆さんとクリスマス礼拝をささげ、お祝いの時をもったのである。入居者と支える会の皆さん等で40名近い皆さんがお集まりくださった。清水ヶ丘教会の島田勝彦牧師ご夫妻もご出席くださり、感謝した次第である。今回の礼拝担当は茅ヶ崎恵泉教会の坐間豊牧師であった。同牧師は盛岡の教会で牧会されていた時代があり、そこでの経験を踏まえながら、感銘深く御言葉を伝えてくださった。 
2004年のクリスマス礼拝は私が担当であり、大塚平安教会在任中でもあった。その時は大塚平安教会聖歌隊も参加してくれたので、礼拝の中で聖歌合唱を行い、礼拝後は皆さんに合唱を聴いていただき、また皆さんと共にクリスマスの讃美歌を歌ったのであった。つい最近のような気がしていたが、もう7年も昔になってしまった。
祝会は主事の鳥羽徳子牧師が担当して行われた。「支える会」からささやかなクリスマスプレゼントを入居されている皆さんに差し上げる。「支える会」のメンバーがお一人お一人に差し上げたのであった。贈り物はチョコレートである。品物にすると、入居されている皆さんは結構いろいろな物があり、部屋をせまくすることも考えられので、食べ物がよろしいのではないかということになっている。毎日、少しずつ召し上がっていただければよろしいのである。その後は軽食をいただきながら、入居されている皆さんと歓談しつつ過ごすのである。余興的なことは、以前は支える会が祝会で聖歌を歌ったりしたが、むしろ入居されている皆さんと歓談した方が良いということになったのである。しかし、なかなかお話されない方もあるのだが。いつもは祝会が終わるまでいるのであったが、今回は祝会が始まり、お二人の方にプレゼントを渡してから失礼したのである。一つは秦野市内に入院されている方をお見舞いするためである。そして、その後は湯河原の敷島館に行く予定をもっていたからである。敷島館宿泊については次回のブログに記す予定である。



神の庭・サンフォーレのたたずまい。



クリスマス礼拝。礼拝担当は茅ヶ崎恵泉教会の坐間豊牧師。




老人施設について考えさせられたことは、1998年6月7日付で発行した「今日も一日生かされて」(姉・鈴木美喜子の証)に感想を述べている。その姉は1997年2月18日に召天するのであるが、15年間リューマチの病と闘いながら、その体で老い行く両親と共に生活し、介護をしつつ、自らの病と向き合っていたのである。二人の姉、連れ合い、また親族等が姉の介護をしたのであるが、家で過ごしたいという姉であったが、どうしても病院にいてもらわなければならなかった。それぞれの生活があるからである。そういう中で示されたことは、教会は高齢者と共に歩まなければならないということである。今まで教会と共に歩み、献身と奉仕で過ごしてきた一信徒が、高齢のために教会に来られなくなることは寂しい限りであり、悲しい現実でもある。「最近は○○さんはお見えになりませんねえ」と言うとしたら、教会は親身になって高齢者と向きあうべきなのである。家族は老人施設に入ってもらうことを考えざるを得ないのである。私が小冊子で提案したことは、教会・地区・教区が介護チームを組織し、自分の教会に属する人ばかりでなく、他教会の信者であったとしても、チームの皆さんが訪問しては介護のお手伝いをするのである。「今日は△△教会の皆さんが来てくださる」と言う喜びを持ちながら自宅で生活できるのである。その場合家族は、留守の間に知らない人が出入りしては困る、なんて心配しないことである。長年の間、教会に仕えてきた教会員であり、教会が高齢者と共に歩むことは当然なのである。
私は今でもその提案を持ち続けている。教会はもっとふみこんで高齢者と共に歩まなければならないと思っている。高齢の信者の皆さんに、このクリスマスの祝福が豊かにあるよう祈りつつ。




2004年12月21日のクリスマス礼拝で、大塚平安教会の聖歌隊が聖歌合唱を行う。