鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <33>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<33>
2011年12月14日 「祝福の家族」
 

聖書の言葉
エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように。あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように」。わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように」。わたしは願おう、わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように」。
詩編121編6-9節)


世界のサッカー王者と言われるスペインのバルサチームが12月11日に来日したことが報道されていた。日本で開催されるトヨタクラブワールドカップ(W杯・読売新聞社協賛)に出場するためである。バルサバルセロナのチームで、4月、5月にバルセロナに滞在した時、バルセロナ市民のバルサへの熱気を肌で感じてきたのである。サッカーファンばかりでなく、日本中が湧きかえるであろう。
ところでスペインからの朗報を聞く前に、バルセロナから悲報を受け、連れ合いのスミさんは悲しみに暮れている。娘の羊子と共に生活していた犬のルルが、12月10日に召天したということである。羊子は四頭のミニピンシャ犬と共に生活している。ルカ、バンビ、ルル、キュピである。さらにパトラ(シャムネ猫)、カムイ(ペルシャ猫)も一緒であるから、世話も大変であろう。家族として一緒に過ごしているのである。私自身もバルセロナ滞在中、これらの動物たちと触れ合い、楽しく過ごしている。朝夕の散歩はサグラダ・ファミリアの前の公園にドックランドがあるので、そこに連れて行って遊ばせたり、あるいはサグラダ・ファミリアを一周したりしている。食事のときはそれぞれおとなしく寝そべっているが、そろそろ食事が終わるころを見計らってテーブルに集まってくるのである。順番に肉や魚を上げたりしたのであった。私の触れ合いはそんなものであるが、連れ合いのスミさんは三度目の訪問であり、犬たちとは家族同様に過ごしているのである。夜は一緒に寝たりしているからである。その中のルルの悲報は大きな打撃であった。この4月、5月に一緒に過ごしたばかりであるからだ。ルルについては羊子から検診、入院、検査と次々にメールが届き、心配していたのであるが、肝臓と膵臓の病気で亡くなったのだという。羊子が一連のルルの写真を送って来たので、プリントアウトしたが、連れ合いのスミさんは写真を見ては悲しみに暮れている。だから、しばらくは写真が見られないように隠してしまったのであった。動物と一緒にいると家族同様になり、愛情も深まる。連れ合いのスミさんにとって、リスのシュータを11月24日に亡くしたばかりであり、このたびのルルの召天も一層悲しみが募る。



7月に撮影。右から二番目がルル。犬たちのベッドがあるのに
みんなソファーが好きなのである。



5月頃のルル。元気に公園で遊んでいた。
手前がルル。



綱引きをして遊ぶ左のルルと右のキュピ。



羊子に抱かれているルルを見つめる家族たち。



ルルの遺体に寄り添うバンビとルカ。


私自身、小さい頃から動物たちと共に暮らしている。私が小学生の時代に、我が家の物置に野良猫が子供を産む。かわいそうなのでそのままにしていたが、結局見に行っては子猫を抱き、いじくるものだから、猫達も人間になついてしまった。だんだんと物置から家の中で遊ぶようになるのである。子猫が成長して子どもを産むので、一時は10数匹もいたこともある。23歳で神学校に入ったが、その頃も猫はいた。長くこの家にいるタマはかなり老衰していた。神学校の寮生活をしていたが、心配でタマの様子を見に実家に帰ったりしたことがあった。宮城の教会に赴任した時も、子どもたちが知り合いから子猫をもらいうけ、一緒に生活していた。
大塚平安教会に赴任してからは犬たちの時代になる。最初に飼った犬はチェリーである。一度お産をしていたようであるが、野良生活をしていた犬を三人の子どもたちが連れてきてしまったのである。子どもたちはまだ小学生の頃であり、三人の子どもたちは学校から帰って来るやチェリーを連れて散歩に行っていた。ところが子どもたちが中学、高校生になると学業や部活で忙しくなり、誰も散歩に連れて行かないのである。やむなく親がチェリーの散歩をするのであった。散歩をしていると、だいたいは私みたいな人が犬の散歩をしている。どこの家も子どもの願いで犬を飼うのであるが、子どもは忙しくなって散歩どころではなくなるのである。「お互いに苦労しますなあ」なんて挨拶するのであった。1982年からチェリーを飼うことになったが、1992年からノアという犬を飼うことになった。チェリーは比較的小型であるが、このノアは中型犬であった。飼うことになったいきさつは割愛するが、当初は吠えてばかりいる犬であった。しかし、次第に慣れて来て人を見ても吠えなくなり、チェリーのようにおとなしい犬になったのである。例によって犬たちの散歩をしなければならない。チェリーとノアを連れて歩くこと朝夕の務めになっていた。我が家では犬達は家の中には入れなかった。外の犬小屋で過ごしたのである。小屋を並べて過ごしているうちにも、チェリーは老衰となる。チェリーの死については11月30日のブログ「なぐさめぐさ(慰種)」で記したが、クンクンと苦しがるチェリーを、一緒にいるノアがじっと見つめていたことが胸に焼き付いている。そのチェリーを玄関に入れてあげる。外出から戻った連れ合いのスミさんの顔を見て死んだのであった。
その後、ノアだけになる。そして数年後、そのノアも老衰となり、この犬は足が長く、それだけに足から老衰が始まる。歩けなくなってきたのである。だからかなり重いノアを抱いて、いつも散歩しては用をたす場所に連れて行ったりするのであった。このノアも寝たきりになるので、家の中に入れて、おむつを変えてあげたりしていた。ある日、朝起きるとノアは入れていた箱のはじに首をもたれさせ、じっと空間を見つめているのであった。もはや召天していた。騒がしかったノアであるが、最後は静かに眠ったのである。チェリーもノアも15年以上は鈴木家の家族として生存したと思う。その家族は、一緒にいたときだけではなく、今も家族であり続けている。宮城にいた時の猫のクロ、その後はリスのショータ、シュータ、みんな家族として今も存在しているのである。
そのノアの犬小屋は綾瀬から六浦へと転居している。庭の一隅においているが、屋根の部分が破損してきているので修繕しようと思う。再び犬を飼うつもりはないが、いずれ野良猫が住みついたら、それはそれでよろしいと思っているのである。
動物達は人間の気持ちを良く理解してくれる。羊子の他の動物たちは羊子の悲しみを深く受け止めているであろうし、何よりも家族が居なくなったことで悲しんでいるであろう。バルセロナへの祈りを深めたのであった。


綾瀬から引っ越したノアの家。