鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <29>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<29>
2011年12月5日 「平和への道 (2)」 


聖書の言葉
こういうわけで、あなたがたのところ(=ローマにいるキリスト教の信徒)に何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。
(ローマの信徒への手紙15章22-24節)


 「ローマ人の物語」を興味を持って読んだのは、キリスト教がどのようにローマに浸透し、国の宗教になって行ったかということである。その点、著者は丁寧にその歴史を示してくれていた。キリスト教がローマに布教されて、次第に信者が増えて行くのであるが、ローマ皇帝は当初はキリスト教に対する禁止政策を取っている。「ローマ人の考えるキリスト教とは、自分たち全員の『レス・プブリか』(国家)であるローマ帝国に対する考えや義務を、彼らとは共有しない人々のことであった。(中略)これは、ローマ帝国全体を一大家族としてとらえ、その内部に住む人々全員の運命共同体と考えていた歴代のローマ皇帝にとっては、明らかに反国家的行為になる」(同書文庫版第34巻175頁)ということからキリスト教の禁令となるのである。そのために迫害があるが、歴史を通じてそんなに犠牲者が出たというのではないようである。
このような政策の中で、キリスト教が公認されるのである。著者は紀元312年を運命の年であるとしている。この年、コンスタンティヌスは「ミルヴィウス橋の戦闘」として知られる決戦で勝利する。今や帝国西方の「正帝」になる。そして翌年の313年に西方のコンスタンティヌスと東方の正帝リキニウスがミラノで会い、「ミラノ勅令」を公にするのである。このミラノ勅令こそキリスト教ローマ帝国内で公式に認められたことになるのである。しかし、国の宗教になったのではない。長くなるが引用しておこう。「今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと他のどの宗教であろうと変わりなく、各人は自身が良しとする宗教を信じ、それに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。それがどの神であろうと、その至高の存在が、帝国に住む人のすべてを恩恵と慈愛によって和解と融和に導いてくれることを願いつつ」(同書文庫版37巻80頁)としている。皇帝コンスタンティヌスはミラノ勅令を公にしたばかりではなく、その後もキリスト教振興策を進め、職権の乱用と思われるような援助をするのである。この寄付行為は「コンスタンティヌスの寄進状」と呼ばれるようになるのである。これには、皇帝コンスタンティヌスがヨーロッパ全土をローマ法王に寄贈したことが記されているのである。キリスト教にとってコンスタンティヌスは単なる皇帝ではなく、まさに大帝なのである。この大帝はさらに歴史に残ることに関与するのである。
ニケーア公会議を召集するのはコンスタンティヌスである。ニカイア公会議とも称されるが、この会議によって今日のキリスト教の信仰の内容が定められるのである。キリスト教が公認されるようになると、それぞれの信仰、教義を主張するようになる。既に司教が存在しているが、司教の教え導く教義が、キリスト教内で異なってくるのである。基本的には、当時のキリスト教も、神とその子イエスは同位として信じられていた。しかし、この信仰を否定する者が出てくる。エジプトのアレクサンドリアで司祭をしていたアリウスが、神とその子イエスは同位ではないと主張したのである。イエスは生まれ、生き、十字架で死ぬが、限りなく神に近いとしながらも同位ではないとするのである。これまでのキリスト教会が信じていた神とその子イエス聖霊は同位であり、一体であるとの信仰、三位一体の信仰を否定したのである。そのため、三位一体派であるアタナシウウス司教により破門されることになり、追放されるのである。皇帝コンスタンティヌスによって招集されたニカイア公会議で、結局皇帝が三位一体派を擁護したので、アリウスの教義は異端とされるようになる。しかし、アリウスは破門されるものの行く先々で教義を説き、信者を増やしていくことになる。しばらくはアリウス派と三位一体派が熾烈な戦いを繰り広げることになるのであるが、結論的には三位一体派が勝利をおさめ、今日のキリスト教の信仰に至っているのである。
キリスト教がローマの国教になることについては次回に記すことにする。



12月4日、横須賀上町教会礼拝を担当する。
待降節第二週となり、飾りをつけてクリスマスの備えをしている。



クリスマスツリーは大きくても小さくても、主のご降誕の待望を深める。



窓にも待望のしるしを飾りつつ。