鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <18>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<18>
2011年11月9日 「無牧の教会を応援しつつ」 


聖書の言葉
恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。
使徒言行録18章9節、10節)



 毎月、第一日曜日には横須賀上町教会の講壇に立ち、礼拝を担当している。昨年の9月をもって、それまで18年間牧師として仕えてきた森田裕明牧師が辞任した。横浜本牧教会の招聘をいただき、同教会の牧師及び付属の早苗幼稚園の園長に就任したのである。森田裕明牧師が9月をもって辞任したので、その後は専任の牧師が決まらず、10月からは代務者を置いて歩んでいるのである。もはや代務者と共に1年を経ている。来年4月から牧師をお招きしたいとは教会員のせつなる願いなのである。



横須賀上町教会のたたずまい。
登録有形文化財(建造物)に指定されている。


 11月6日も横須賀上町教会に赴き、教会学校の礼拝および大人の礼拝を担当した。教会学校はお話だけでよく、司会者がいる。しかし、大人の礼拝は司会を務め、説教も行うので、礼拝を担当することである。教会員がおられるのであるから、教会員が司会をされたら良いと思うが、教会の事情もあるのだろう。教会学校にしてもお話は牧師であり、教会員の皆さんは担当しない。これも改めたらよいのではないかと思っている。まあ、私は第一日曜日の応援に行っているので、教会の取組みについては言うことができない。



小人数であるが、礼拝を喜びつつ出席する皆さん。



教会学校で子供達にお話しするスミさん。


 
この横須賀上町教会との関わりは、私には不思議な結びつきがあることについては、今までもおりにふれて記している。その昔、石井錦一先生が牧会されていた。私がまだ小学生の頃かと思う。その後、高校生時代になって清水ヶ丘教会に出席するようになり、高校生会が石井錦一先生をお招きして修養会を開催したことがある。さらに私が教区議長、教団書記を担うようになってから、職務上において何かとお話することがあった。その後、清水ヶ丘教会出身の斎藤雄一牧師が横須賀上町教会に就任したのである。その就任式に出席したのは高校生時代であったが、それが初めて横須賀上町教会との出会いであった。斎藤雄一牧師は、それまでは伊豆の宇佐美教会の牧師であった。清水ヶ丘教会の高校生会が夏になると宇佐美教会で修養会を開催していた。そのような関わりがあったので斎藤牧師とは親しくさせていただいていたのである。斎藤牧師が辞任されることを伺い、北海道で牧会していた森田裕明牧師、彼は大塚平安教会の出身であり、いわば私の弟子にもなるのだが、彼を横須賀上町教会に紹介したのは私であったのである。実に18年も教会、幼稚園を担ってくれたことには、感謝にたえない。その横須賀上町教会で、第一日曜日の礼拝を担当するようになったことについては、神様のお導きであるとも思っている。
 礼拝は8 〜10名前後であるが、皆さんが日曜日の礼拝を覚えて出席されているのである。礼拝後は皆さんが食事を持参して、いただきながらお交わりを深めるのである。スペイン滞在中、バルセロナマドリッドで礼拝をささげたが、いずれも10名以下の集いであり、皆さんが礼拝を喜びつつささげておられた。六浦谷間の集会も5名以下の礼拝であるが、最近は少人数の礼拝が当たり前に思うようなり、大塚平安教会時代の礼拝が何とも多く感じられるようになったのである。


 横須賀上町教会についてはネットで検索すれば詳しく知ることができる。横須賀上町教会は登録有形文化財(建造物)に指定されている。指定の内容は、「市中心部に近い住宅街に建設され,上町教会の名で親しまれている教会建築。外装下見板張で,尖頭アーチ型の上げ下げ窓を礼拝堂の各側面に配する。切妻屋根の道路側に設けられた塔屋に十字架を掲げ,歴史的な街路景観の形成に寄与している」と言うことである。そのため有志による建物応援団 が組織され、建物管理をしてくれているのである。それは大変ありがたいことであるが、建物よりまず教会でなければならない。外野が多くなっても、内野が多くなることなのである。建物が保存されると共に信者が保存されていく教会であることを祈っているのである。後任の牧師が決まるまで、とにかく責任があり、関係があると思っているので、応援をおしみなく提供したいと思っている。