鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <68>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <68>
2011年5月27日「遥かなるバルセロナ(7)」
 


バルセロナで生活し、衣食住について思いを馳せたが、環境について記しておこう。日本では「住めば都」という言葉があるが、住んでいれば、そこは都のように楽しい所となるのである。綾瀬市にある大塚平安教会の牧師館で30年間住んだ。三人の子供達も順次巣立って行き、最終的には夫婦二人で住むようになる。いよいよ退任で引越しをしなければならなくなった時、愛着を込めて家の中を見て回るのであった。むしろ、ネズミの徘徊にも愛着を感じたりして。今、横浜の片隅にある六浦の家で、夫婦でひっそりと暮らしているが、飛行機の音も車の通る音もなく、人声もめったにない静けさの中で、綾瀬の生活に郷愁すら感じるのであった。その郷愁は、たった45日間であるが、バルセロナ生活についても持っている。
 バルセロナ市全体を思う時、くつろげる町であると思った。サグラダ・ファミリアを始め、芸術の町であるので、多くの観光客が出入りしているのであるが、それでいて、そんなに窮屈な思いがない。なんとなくゆったりとしている。くつろいでいることができるのである。一つは公園が多くあることにも起因する。公園はサグラダ・ファミリアの東側にも西側にもある。その公園のベンチには、いつも誰かが座ってくつろいでいるのである。公園はここばかりではなく、広い通りには必ず公園がある。就学前の幼児が母親と共に遊んでいたり、高齢者がベンチに腰掛けて幼児たちを目を細めながら見つめているのである。また、その公園の一角ではペタンカというゲートボールのようなゲームをしたりして楽しんでいる。公園は樹木で囲まれているし、緑陰の楽しさがある。
 


サグラダ・ファミリア西側の公園


フランスのパリ、ルーブル美術館を見学し、その後はオランジュリー美術館に行ったのであるが、ルーブル美術館からオランジュリー美術館まで真直ぐに公園が続いている、1キロもあるのだろうか。芝生が続き、緑陰が続き、置かれているベンチで憩い、くつろげる公園なのである。公園の良さを外国に求めなくても、日本にもたくさんの公園があり、くつろげる場は多くある。公園デビューという言葉があるくらい、町の中に公園があり、お母さん達、子供たちの出会いの場になっている。また、公園においてゲートボールで汗を流す皆さんもおられる。公園はどこの国も、人々の憩いの場として設置されているのである。そのように思いながらもバルセロナの公園のくつろぎが忘れられないのである。
 教会の鐘の音もくつろぎを与えてくれる。時間になるとあっちからもこっちからも鐘の音が鳴り出す。それもうるさくもなく、聞こえるか聞こえないかの音量なのである。サグラダ・ファミリアが完成した時、街中に向けて鐘が鳴るとも聞いている。そのために塔には窓のような空間があるのである。いつになるのか分からないが。




サグラダファミリアの塔は小窓を多く設ける



大塚平安教会在任中、礼拝の開会前にはチャイムを放送していた。もう随分前から放送している。わずか5分くらいであり、人によっては、くつろぎの音色とも言われていた。ところがある日、道を隔てた隣の家の若者が、激しく苦情を言ってきたのである。夜は寝ないで、朝から寝るようになったようで、うるさくて寝られないとの抗議であった。その抗議を受け止めて、以来チャイムを鳴らさなくなった。その家は居酒屋で、夜遅くまでカラオケが聞こえる。こちらからも抗議することを考えたが。騒音なのか、くつろぎの音色なのか、バルセロナの教会が時間になると一斉に鐘を鳴らすこと、くつろぎであり、神様の御心を告げているのである。
 生活は近くにスーパーマーケットがあり、生活用品はそこで間に合う。町の中には八百屋さんや果物屋さん等もあり、それらの店でも購入していた、比較的小規模の店が多い。日本のスーパーマーケットはバルセロナのそれとは比較にならないほど大きい。バルセロナのサン・ジョセップ市場に行けば何でもあり、圧倒されるのであるが、少なくとも羊子の家の周辺には大きなスーパーマーケットがなく、比較的小規模のお店により生活用品を購入しているのである。しかし、それがなんとなくのどかな生活なのである。帰国して大きなスーパーマーケットに行くが、人の多さに驚くのであった。