鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <67>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <67>
2011年5月27日「遥かなるバルセロナ(6)」
 


スペインの衣食住を思い起こしている。「食」と「住」については昨日と一昨日に記している。今日は「衣」について思い起こしておこう。4月4日にスペインに赴くにあたり、どんな服を着て行ったら良いのか、羊子に尋ねたりしている。バルセロナの気候は日本とそんなに変わりなく、日本の気候を考えての衣服で良いということであった。言われる通り、こちらの気候に合わせて衣服を準備した。しかし、45日後の帰国の頃は初夏であり、その頃の衣服も準備しなければならない。行くときはジャケットにジャンパーを着込むことになる。なにしろトランクケースがいっぱいで、むしろ着て行かれるものは着ることにしたのである。バルセロナではジャケットで過ごすこともあり、多くの場合はジャンパーで過ごしていた。本当に日本の気候と変わらないのである。
 あまり持って行くことができないので、下着類は現地調達を考えていた。バルセロナで何日か過ごすうちに、羊子と一緒に生活しているロミさんに連れられて、星子と共にショッピングセンターに買い物に行った。家から30分位歩いた所にあり、度々触れている不思議な水道局の建物のそばにあった。そこでポロシャツや半ズボン、下着や靴下等を買い求めたのである。ポロシャツと半ズボンはバングラディシュ製であり、下着は中国製、靴下はインド製であった。ポロシャツは散歩のときに着て出かけたが、半ズボンはどうしても穿く気にはならなかった。若者向きで、至るところにポケットが付いているのである。穿く気にならないのは理由がある。実は左足の脛に傷跡を持っているからである。「脛に傷を持つ」という言葉があるが、「公になると困るような隠しごとがある」という意味である。まさにその通りなのである。
2009年度は大塚平安教会の最後の歩みである。クリスマスも最後であり、洗礼者が3人も与えられて祝福の礼拝であった。クリスマスが終わり、いつもは次の日曜日にクリスマスの飾り物を片づけることになっている。20日がクリスマス礼拝であり、27日の礼拝後に行う予定であった。ところが、外のイルミネーションを先に片づけておこうかと思ったのである。こういう仕事は若い人にお任せすれば良いのだが、なぜかその時、自分でやろうと思ったのである。もう年齢も増し加わっているのだから、気をつけなければならないことは承知していた。承知していたものの足を滑らしてしまったのである。手すりに脛を引きずるように当ててしまった。13センチくらいの傷ができた。血はドボドボと出ないが、骨の部分であり、かなり痛かったのである。すぐに消毒をしてリバガーゼを当て包帯をしておいた。これは家族にも教会の皆さんにも、絶対に内緒にしなければならないことであった。言えば、そんなことをしなくても良いのに、と言って喧々囂々(けんけんごうごう=たくさんの人が口々にやかましくしゃべる様子)と言われるからである。この傷の全治は春になってからである。毎日、こっそりと傷の手当てをしていたのであった。手当てをしても傷跡は残る。人が見ると驚くばかりの傷跡なのである。
穿きたくない半ズボンであるが、穿かなければならなくなった。スリ事件については5月13日のブログに記しているが、着ていたシャツやズボンにまで液体をかけられたのである。早速スミさんが洗ってくれたのであるが、ズボンの替えは持って来なかった。穿くとしたらスーツのズボンであり、普段用ではもったいない。そこで、買っておいた半ズボンを穿くことになったのである。古傷のお披露目ということになった。このことについては、たいして説明もなく、古傷であるということにしているが、今始めてことの真相を明らかにしたのである。



液体をかけられたシャツとズボン



バルセロナサグラダ・ファミリアの周りには、女性がノースリーブで歩いている。私はジャンパーを着ているのであるが、寒くないのかなあと思う。ロミさんが言うには、あの人たちは北欧の人たちで、あの人たちにとっては、この気候は暑いということなのである。5月になって、ブルゴスやマドリッドに行ったが、暑さも感じるようになっていた。グエル公園に出かけたときは、バングラディシュ製のポロシャツの上にジャケットを着て行ったが、暑くてジャケットは着ていられなかったという訳。「衣」の生活も楽しかったと思う。



グエル公園で。暑いのでポロシャツになる。


ドラゴンの前で。案内役のロミさん撮影。