鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <66>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <66>
2011年5月26日「遥かなるバルセロナ(5)」
 


昨日はスペインの食生活について記したが、今日はバルセロナの住生活について記しておこう。羊子は私がバルセロナに行くことについて、一つの期待があった、それは部屋に棚を作ることなのである。お父さんが来たら棚を作ってもらう、と一緒に暮らしいるロミさんに話している。何日かして、棚作りをしようとした。材料はあるという。しかし、羊子の家は石造りなのである。日本の家屋のように木材が中心であれば、棚は作りやすい。しかし、石となると、石に穴をあける道具も必要であり、それらの道具もあると言われたが、そういう作業は慣れていないので、申し訳ないが棚作りはあきらめたのである。
大工仕事は嫌いではなく、目的があれば、棚を作ったり、戸棚を作ったりしている。私が使っている机にしても本棚にしても、キャビネットにしても、注文して送られてきたものを組み立てて作ったのである。それは図面通りに組み立てればよいので簡単である。しかし、戸棚等は自分が設計して材料を組み立てるので、結構楽しみの仕事でもある。そんな趣味を持っているのであるが、石の壁に棚を作ることはできなかった。お隣りのロリーさんの家に行った時も、ネウスさんの家に行った時も、壁には名画がたくさん飾られていた。それには壁に穴をあけてかかげるのであろうが、職人に頼んだのかもしれない。羊子の家は100年も前に造られている。やたらに穴をあけて壁が崩れでもしたら大変とも思ったのであった。




ネウスさん家で。たくさんの絵が飾られている。



ロリーさんの家で。こちらも然り。
それぞれの思い出があるのだろう。



羊子の居間。壁には何も掛けてない。
ひたすらピアノに打ち込んでいるからである。
グランドピアノは奉仕しているカトリック教会におかせてもらっている。



 日本でもマンションは簡単には入れないようになっている。管理人に開けてもらうか、鍵の番号を合わせて開けるようになっている。バルセロナの建物は、すべて出入り口はロックされている。入口にそれぞれの家のインターフォンがあり、そこで連絡することにより、部屋からロックを解除するのである。郵便局員の配達の場合も荷物の配達の場合も、どこかのインターフォンを押して開けてもらうことになっている。問題は扉を閉めれば自動的にロックされるが、その扉に鍵をかけてしまうと、部屋からロックを解除しても、施錠を解かないかぎり開けることができない。そういう場合、わざわざ上の階から下りて来て鍵を開けるのである。驚いたことに街の中にあるお店は、入口には鍵がかけられている。ちょっと店の中を覗くわけにはいかない。時計屋さんに行った時にも、鍵がかかっていて、買う意思を示して開けてもらうのである。お店にはやたらには入れないということである。もっともお土産さん、スーパーマーケット、薬屋さんは開放されている。まさかお土産屋さんがロックしていたら、売れなくなってしまう訳である。やはりお店でも用心に越したことはない。
 バルセロナで滞在し、改めて街並みを見ると電線というものがない。電信柱がないのである。電線はすべて地下に埋め込んである。日本のように至るところに電線が張り巡らされていると、まさに美観を損なうのである。ドレーパー記念幼稚園の道路側園舎にモザイクが掲げられている。イエス様が子供たちと過ごしている絵である。園舎を増改築したとき、象徴的な絵を掲げることになり、イエス様と子供たちの絵があったので、モザイクにして掲げたのである。ところが、その前の道路には電信柱が立っており、しみじみと絵を見るには弊害となっている。大塚平安教会にしても全体を写真に収めようとしても、その前に電線があり、邪魔な電線、電信柱も共に写さなければならないのである。日本でも電線を地下に埋めたら、どんなにか良いであろうかと思うのである。バルセロナには電信柱がない。芸術の街にはまさに必要なことである。電気の線、電話の線、ケーブルテレビの線等、必要なインフラであるが、美観を考える必要があるのではないか。
 



電信柱もなく、電線は見えない。



食生活の項で触れるべきであったが、水事情はあまり良くない。水道水は飲めないことはないが、家庭では飲まないようである。水は買って飲む状況でもある。それに対して、今住んでいる横浜のお水は飲料水としても美味しい水である。我が家では水は買わないし、水道水をそのまま飲んでいるのである。バルセロナ滞在中は、水の買い置きがあるか、いつもチェックしていた。それにしてもバルセロナの水道局は芸術的な建物であるのだが。