鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <65>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <65>
2011年5月25日「遥かなるバルセロナ(4 )」
 


5月18日の朝7時40分に成田飛行場について、百合子が迎えに来てくれていたので、9時頃には成田飛行場を後にして家に向かった。11時頃には家に着く。庭の草花がおい茂っていたことについては、既に記している。日本からバルセロナに向かう時は、7時間遅れに向かうのであり、あまり時差ボケがないという。しかし、バルセロナから日本に向かう場合は、7時間早めるので時差ボケがあるという。あまり深く考えないが、確かにバルセロナに着いたときよりも、日本に帰って来た時の方が時差ボケを感じた。2、3日は何事も億劫に感じた。
 20日には「神の庭・サンフォーレ」の委員会が藤沢で開催され、電車で赴いたが、まだ体に疲労を感じていた。21日には綾瀬に出かける。お土産を皆さんにお渡しするためである。車を運転する気にならなく、百合子に運転してもらったのである。大塚平安教会に行くと佐竹和平さんが応対してくれた。私の顔を見るなり、「痩せましたね」と言うのである。自分では感じてなかったが、そういえばズボンが緩くなったことは感じていたのである。教会と幼稚園の皆さんにバルセロナのお菓子をお土産として渡す。教会の子供達には、バルセロナの観光名所のマグネットをお土産として上げることにした。佐竹和平さんは翌日の礼拝司会であったようで、報告の時には、バルセロナから帰った前牧師は痩せた、と報告したので、その後何人かの方から電話があり、口をそろえるようにして、私が痩せたというのである。確かに2、3キロは痩せたようである。
 なぜ痩せたのか。スペイン在住中は美味しいものをいつも食べていた。と言っても、パリに出かけたとき、ブルゴスやマドリッドに出かけたとき、そしてバルセロナの羊子のお友達からご招待を受けたときはご馳走をいただいたのであるが、羊子の家での食生活はご馳走ではなく、普通の食べ物である。どちらかというと日本的な食事であった。ご飯を食べていたし、パン食でも野菜やチーズ、ハム、そして煮込み等の食事であった。むしろ外でいただく食事は注意していたのである。美味しいご馳走であり、食べ過ぎて糖尿や痛風にならないように、控えていたことは確かである。それにしても、いただいたご馳走は本当に美味しかったなあ。帰国してから、スペインの食事はどうでしたかと皆さんから聞かれる。料理の名前は覚えていないが、肉料理、海鮮料理等、もう一度食べたいなんて思っている。
 バルセロナについて三日後にはフランスのパリに行く。ルーブルオランジュリー、オルセー美術館を見学するためである。夜にはカフェーテラスで夕食をいただいたのであるが、エスカルゴをおそるおそる食べ、肉の煮込みや、ビフテキ等をいただく。ブルゴスでコンサートが開かれるので二泊の予定で出かけた。ブルゴス料理を食べたのであるが、羊子は料理の内容を我々に教えなかった。後で聞いたことであるが、豚の生まれたばかりの子供の肉なのである。知っていたら食べなかったかもしれない。でも美味しかった。中華料理店にも行き、日本的なものを食べたことも忘れられない。ブルゴスを後にしてマドリッドに向かう。ここでも日本の大震災救援コンサートが開かれるからである。コンサートが終わってから、我々をお泊めくださっているヨシエさんとフェルナンド夫妻と食事を行う。そこでも肉料理を中心に、美味しいご馳走をいただいたのであった。バルセロナではマルガさんのお誕生会に招待され、海鮮料理を含めて美味しい食べ物をいただく。羊子がお世話になっているネウスさんにはお宅でパエリャをいただいたが、さらに高級レストランで豪華なご馳走をいただいたのである。
 



ネウスさん宅でパエリァをいただく



マルガさん宅に招かれて



ブルゴスのレストランで



このように美味しいご馳走をいただくなかで、やはり美味しいなあと思ったのは、スミさんのオムレツである。私の誕生日のお祝いの集いを5月10日に開いたが、神父さんを含めた4人のお客さんと共に、スミさんの手料理をいただいたのである。オムレツ、混ぜご飯等の日本的なお料理をお客さんの皆さんは、我々を含めて美味しくいただいたのである。肉料理も美味しいが、やはり日本的な食事が一番美味しく感じる。ソーメン、焼きそば等、やはり日本の食べ物が何よりだと思ったのである。それで痩せたのかなあ。



やはり日本的な料理は美味しいなあ。
私の誕生会で、スミさんが作ったオムレツ