鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <64>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <64>
2011年5月18日「遥かなるバルセロナ(3)」
 


バルセロナにしてもフランスのパリにしても、歩行者喫煙が目立つ。ポイ捨てをしている人もあるが、いたるところにゴミ箱が置かれているので、そこに捨てる人も多い。ゴミ箱には灰皿を設置している場合もあるが、煙草の火を消す部分があり、消してからゴミ箱に捨てるのである。外では喫煙をしているが、どの飲食店も店内では禁煙である。禁煙を表示しているのではないが、不文律として守られているようである。日本のように一部は禁煙、一部は喫煙という店はない。外でも決められた場所しか喫煙できないからでもある。
 ゴミ箱はいたるところにおかれているので、むしろ路上に捨てる人は少ないということである。それと共に交差点の四隅には大きなゴミ箱が置かれている。分別して捨てるようになっており、生ゴミ、紙ゴミ、プラゴミ、缶・瓶等を捨てる大きなゴミ箱が置かれているのである。それらは蓋付きの頑丈なものであり、人間が4、5人も入れるほどの大きさである。従って、常にそこに捨てればよく、日本のように収集日に出すというのではない。それらのゴミは、特別な車がやってきて、ゴミ箱ごと持ち上げて車の荷台に回収するのである。豪快な収集だと思わせられた。従って、カラスが食い荒らすこともない。そのためかバルセロナにはカラスがいないのである。朝明るくなるとそれらのゴミ回収車が市内を回っている。それと共に朝は清掃の人たちが、街中を清掃している。従って、ポイ捨ての吸い殻も朝になれば、道路から無くなるのである。ブルゴスという街に行ったとき、夜になると道路を水で洗っていたことが印象に残る。こうして朝を迎えたとき、ゴミひとつ落ちていない街となるのである。
 



分別してそれぞれのゴミ箱に入れる。
下のレバーを足で踏むと蓋が開く。



日本の場合、ゴミ箱を街の中におくと家庭ゴミを捨てるというので、置かないようにしているようである。家庭ゴミを捨てる場は交差点の四隅には必ず置かれているので、歩道に置かれているゴミ箱には家庭ゴミは捨てない。今、日本で困っているのはコンビニということである。コンビニはゴミ箱が設置されているので、家庭ゴミが捨てられるということである。ゴミ処理の対策が行き届いていることをバルセロナで示されたということである。
 


交差点にはゴミ箱が置かれている。見えるかな。
横断歩道のところに小さく見える。



ドックランドにおかれているゴミ箱。
犬の汚れものを入れる。



ゴミ処理状況が行き届いているのも、土地に恵まれているからでもある。道路の交差点の四隅は三角に切り取られており、そこに大きなゴミ箱を置いているのである。日本では到底そのようなことはできない。道路は狭いし、大きなゴミ箱などおけないのである。スペインの人口は約7000万人であり、それに対して日本は1億2000万人であり、人口は約二倍である。土地はと言えばスペインは日本の1.3倍の広さである。人口密度からしても、土地が足りないということになる。しかも、どこの国も同じであるが、都市に集中して住むことになるので、郊外の住宅は、昔は山であったところにまで建てられているのである。私の住む家は、昔は里山に囲まれていて、子供の頃は里山を楽しんだものである。ところが、今はその里山のいたるところに住宅ができている。時々、その住宅街を散歩することがあるが、「天空の町」なんて名付けている。それでも我が家の裏は、いくらか里山の名残があるので、気が休まる思いである。
 


サグラダ・ファミリアの見学者の中に緑と黄色の服を着ている人が清掃員。
そこにもゴミ箱が二つ並んでいる。常に清掃員が掃除している。


バルセロナは芸術の都市であり、また観光の都市である。外国からも多くの人々が観光に訪れている。そのためにも清掃は何よりの課題であり、常にゴミ対策をしているのである。サグラダ・ファミリアの東側の公園も、西側の公園も絶えず清掃員が掃除している。そして、大きなゴミ箱は美観も損ねないし、むしろ街の一つの風景にもなっている。
 日本の場合、収集日にゴミを出すことになっているが、カラスも収集日を知っていて、その日にはゴミ荒らしをする。その対策として網をかけたりしているが、それでも食い荒らされる。最近は「カラス行け行け」という網の箱が置かれている。収集日にくみたて、終わればたためるというものである。しかし、その箱よりゴミの量は多い。結局、はみ出た分がカラスのねらいどころとなる。ゴミ処理は日本の大きな課題でもあり、各市町村はいろいろと検討しているようである。ここでスペインのような大きな箱を提案しても、日本では通用しない。土地が狭いからである。何とかあきらめないで課題としてもらいたい。