鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <63>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <63>
2011年5月18日「遥かなるバルセロナ(2)」
 


バルセロナ滞在で示されたことは「家族」である。家族のように愛し合う姿を示された。なにもバルセロナでなくても、日本の家族においても、家族の愛は良く示されているので、ことさらに言うつもりはない。私達が「家族の一員」として迎えられたことが印象に残るのである。
 バルセロナの生活をしているうちにも、羊子が奏楽奉仕をしているカトリック教会のミサに出席した。ミサの進行状況については、なんとなく分かるが、言葉が分からないので、ただ座っているだけである。しかし、ミサの中で相互の挨拶があり、左右と前後の皆さんと握手して平安を祈りあうことには、共に参加することができた。見知らぬ日本人が来ていることは、羊子の家族であることを皆さんは知っており、暖かく見つめてくれていたようである。ミサが終わると神父さんが私達を紹介してくれた。その時、神父さんは「羊子は私達の家族であり、羊子の家族も私達の家族である」と紹介したのである。スミさんは既に二回もバルセロナに来ているので、教会の皆さんも知っている。皆さんとスペイン観光旅行もしているので、親しくしていただいている。久しぶりの再会に頬を擦りよせて喜んでいた。スミさんや星子には、他の皆さんはハグしての挨拶をしてくれた。私は握手で済ませたのであるが。



家族としてのカトリック教会の皆さん




このハグして頬を擦り寄せ、キスをする挨拶は日本人としては、なかなか馴染まないのであるが、次第に慣れてきて、いつの間にか私自身もするようになった。頬を擦り寄せたとき、チュっと口を鳴らすのである。キスをする人もあるが、チュでいいらしい。家族の証しとしてのハグと言うことになる。その点、日本人は言葉の挨拶だけでスキンシップはない。このあたりの家族の捕らえ方が違うのではないか。
 私の誕生日が5月10日であり、今年はバルセロナでお祝いしてもらうことになった。その時、知り合いの別の神父さんとお友達3人が来られてお祝いしてくれた。思ってもみなかったことである。その時も、皆さんは羊子が愛する家族であり、羊子の家族も共に家族であると言われていた。

それから、羊子が歌の伴奏をしてあげている女性の友達が誕生日であり、私達をその誕生会に招いてくれた。まさに羊子とその家族は、私達の家族と言う訳である。老人ホームで羊子のピアノコンサートが開かれた。その時も、家族の羊子が今回もピアノを演奏してくれると言って挨拶をしていた。私達にまで花束が贈られたのである。コンサートが終わると食事を提供してくれた。一つの大きなテーブルで老人ホームの皆さんと、家族のように食事をいただいたのである。一人の存在を家族のように受け止めるのである。



サンタ・コロマで神父さんを中心とするカルチャーセンターの皆さんと




マルガさんの誕生会に家族として招待される




高級リゾートマンションでのコンサート
家族として紹介される




要するにスペインの人たちは、人と人との間には距離がないということである。もっとも関係ある人々なのであり、他人については距離が無いとは言えない。知り合いになれば距離が無くなるのである、だから、いつも合えばハグし、頬を擦り寄せるのである。それに対して日本の場合、どんなに親しくても距離がある。「しばらく距離を置く」と言い、関係を断つかのような表現をするが、無意識的に人間関係の「距離」があることを認めていることになる。
 日本でも握手して距離のないこと、親しさを現している人々もある。教会によっては礼拝が終わると、帰る人々に牧師が玄関で握手してはお送りしているところもある。そういう中で、牧師が帰る人々にハグしたり、頬を擦り寄せたりしたらどうだろう。皆驚いてしまうだろうし、あの牧師は変になったなどと言うだろう。常に距離を置いての挨拶、人間関係であるが、もう一歩踏み込んだ人間関係が作られて行かなければならないのではないか。
 主イエス・キリストは、「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイによる福音書12章50節)と示している。あるいはパウロは、「キリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族ある」(エフェソの信徒への手紙2章18-19節)と示している。この場合、信仰が根底なのであり、キリスト教国スペインは、この信仰の家族を土台としているのである。



サグラダ・ファミリアとは「聖家族贖罪教会」との意味である。
聖家族としてのバルセロナを見つめているのである