鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <47>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <47>
2011年5月6日「ブルゴスのコンサート」
 


ブルゴスにおける羊子のピアノコンサートは午後8時15分からである。音楽事務所が企画したものである。会場はカハ・シルクロというホールで、信用金庫が運営しているとか。羊子は早めに行ったが、スミさんも羊子と一緒に行った。私と星子は6時30分頃になって出かけた。羊子が地図を書いてくれたので、地図を頼りに行くと、会場の前で主催者が待っていてくれた。羊子が頼んでいたのである。挨拶をして中に入った。まだ、誰も来ていない。開演時間が近づくにつれて人が多くなってきた。私とスミさんはピアノに対して左側の前から六列目くらいに座ったが、ピアノを聴く人にとっては、そのあたりは特等席なのである。その位置からは演奏者の指使いが見えるからである。だから、私たちの周り、前後はすぐに席が埋まってしまった。
 演奏前はまことに賑やかである。こちらの人たちは大きな声で話す。騒音とも思われる。やがて開演前の合図があると少しは静かになったが、相変わらず大きな声で話している。しかし、開演の合図があると一斉に静かになった。やがて羊子が登場し。演奏が始まる。最初はそうでもなかったように思えるが、曲が終わるごとに拍手喝采が大きくなってきた。一通り終わった時、拍手は鳴り止まず、アンコールを弾く事にしたのである。それでもアンコールを求めていたが、一曲で打ち切りにし、挨拶をして終えたのであった。羊子がいうには、主催者から重い曲ばかりを求められ、それらを全部弾くには相当な疲労もあるという。
 





羊子のピアノ演奏は第一部としてベートーベン、リスト、ショパン、第二部はスペインもので、アルベニスモンポウグラナドス、ファリアであった。いずれも大変な曲であるということである。このホールがほぼ満席になっていた。主催者は大成功であったと言ったということであった。演奏会を開いても満席になることはあまり無いという。ピアノに対する人々の関心を知る。まして日本のピアニストであるのに、よくもこんなに多くの人々が来てくれたかと思う。改めて羊子のスペインにおける知名度を示される。日本においては余程騒がれないと聴きに来ないのである。主催者も羊子に対する関心度が高いのである。終わってから星子が羊子のピアノ演奏のCDを販売した。希望者には羊子がサインをする。従って、終わってからもそれらのことでかなりの時間を要した。羊子が演奏の途中で挨拶を行い、その中で日本から家族が来て、この会場に来ていることを述べたので、終わってから人々が握手を求めてきた。グラッシャスと言いつつ皆さんと握手をしたのである。





 午後10時頃に会場を後にした。夕食はカテドラルの広場に面したレストランに羊子が予約しておいてくれた。そこではブルゴス料理が食べられるからである。店に入ると結婚式をした二人と友達がお祝いをしていた。レストランについたのは午後10時30分頃であった。こちらのコロッケと肉料理、野菜サラダを食べた。羊子はその時、肉料理の内容は言わなかった。後で言ったことは、ブルゴス料理といえばこの肉料理であり、豚の生まれたばかりの子であるとか。柔らく、とても美味しかったが、言えばかわいそうだという訳で食べないかもしれないと思ったからだという。羊子の演奏会のお祝いでもあり、ワインをたくさん飲んでしまった。
 羊子が10年前にスペイン・バルセロナに渡り、まず巨匠ラローチャのもとで研鑽する。そのラローチャは一昨年、羊子が海老名文化会館で演奏会を開催した頃に召天した。それを知ったのは演奏会が終わってからである。演奏前に知ったら悲しみが大きく、演奏に影響したかもしれないと羊子が言った。ラローチャの指導を受けてから演奏活動に入り、各地から演奏の要請が来るようになる。テレビ出演もあり、ラジオ出演もある。いたるところで演奏活動をしながら今日になっている。バルセロナばかりではなく、このブルゴスや他の都市からも要請がある。そして海外からも要請されているのである。皆さんから喜ばれている羊子を誇らしく思うのである。