鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <43>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <43>
2011年5月3日「雷雨」
 


昨日は一日中出かけないで読書と物書きに暮れたので、今日は夕刻にも散歩に出る予定であった。そしたら夕刻6時頃、空が暗くなってきたと思ったら、ごろごろと雷が鳴り出した。そして間もなく雨が降り出したのである。出かけていたら雨に降られたことになる。今日もどこにも出かけないで読書と物書きで終わる。こちらに来て雨に遭うのはモンセラット見学の時である。出かけるときから雲行きが怪しかったので傘を持参していた。モンセラットの修道院を見学し、外に出たら雨が降り出していた。傘をさしたがレストランまですぐであり、雨中行進とまでは行かない。その後、雨が上がったので、傘をしまって帰ってきたのである。雨に遭うのはそれぐらいで、傘をさして歩いたことはない。もっとも雨が降らないというのではない。雨は降るが、そういう時は出かけないし、家の中から雨の市街を見つめているのである。今日の雨はかなり大粒の雨が降っていたようである。雷もかなり長く鳴り響いていた。
 この雨の中で教会の鐘の音が聞こえてくる。バルセロナに着いたときは感じなかったが、最近は1時間ごとに鐘がなる。鐘がなるようになったのは復活祭以後ではないかと思う。受難節は鳴らさなかったのかも知れない。だから最近になって、鐘の音を聴くようになったのである。鐘の音はそれぞれの教会からであり、いろいろな鐘の音色で聞こえてくるのである。鐘の音は、やはり心に平安を与えるようである。日本の寺の鐘は、どっしりと響いてきて、自分というものを深く考えさせるようでもある。
 午後6時半頃、羊子がコンサートから帰ってきた。ウエスカという遠い街で行われ、昨日から泊まりで出かけていたのである。我々は行かないで留守番をしていた。5日からはブルゴス、マドリッドに4泊5日間のコンサート旅行に出かけることになっているからである。マドリッドでは礼拝をささげることになっている。
 そんなことで、出かけないものだからインターネットで日本の様子などを見たりしていた。日本はゴールデンウィークであり、今はユーターンラッシュで関越道の渋滞が78kmとか。焼肉店の杜撰な取り扱いにより、食べた人が死んだり、重症になったりしていることも知る。相変わらず地震が続いていることは心配の種でもある。
 4月4日にスペイン・バルセロナに向かうので、3月が終わり4月になって、出発の準備等で六浦の生活1周年を深くは考えなかった。昨年の3月で大塚平安教会を退任してから1年が経つが、六浦の生活を始めて1年になるのである。まだ1年なのかとも思う。大塚平安教会の職務は随分と昔のように思えてならないのである。大塚平安教会が、今は新しい体制で歩んでいるので、他所事のように感じるのである。4月から9月まで横浜本牧教会の代務者を担ったり、月に一度であるが横須賀上町教会の講壇に立ったりしているので、大塚平安教会はむしろ遠のいているのかも知れない。いずれにしても大塚平安教会、横浜本牧教会の上に主の導きと祝福が豊かにありますようお祈りする。
 六浦の生活は安らぎの日々である。連れ合いのスミさんとのんびり生活しているということである。5年前に今までの60年も経た家を解体し、新しい家にした。この家は二人で生活するには広すぎるとも思う。しかし、時には子ども達が来て泊まるので丁度良いのかもしれない。庭もあり、スミさんは痛い腰をさすりながら園芸等楽しんでいる。野菜を作ることも楽しみである。ほとんど来客もなく、電話もあまりない。メールもあまり来なくなったということは、職務がなくなったからで、職務上やり取りすることがないのである。だから毎日散歩に出かけられるし、読書と物書きに一日を費やすことができる。スミさんは毎日リハビリに行くので、病院に送り迎えすることや、二人で買い物に出かける、そういう日々である。しかし、課題はいくつかある。なんといっても今までの整理をすることである。なかなか手が付けられないでいる。 六浦谷間の集会として礼拝をささげることができるのも喜びである。
 バルセロナで遥かなる日本、六浦の家を思い出していた今日である。ホームシックかな。