鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <42>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <42>
2011年5月2日「スペインという国」



 羊子が10年前にスペイン・バルセロナに渡り、ピアノの研鑽を行い、今はピアノの演奏活動をしているのであるが、それでもスペインという国については、あまり関心を持っていなかった。バルセロナには、もはや一ヶ月滞在しているが、単に観光というより、スペインの国について感心を向けるようになった。いくつかの案内書、またインターネットによりスペインについてレポートしておくことにする。スペインにいながらスペインを知らないでは、まことにお恥ずかしい次第である。
 スペインは、正式国名はエスパーニャ王国という。エスパーニャはフェニキア語で「うさぎ」が語源とも言われている。面積は50.6万㎢で、日本の約1.3倍である。しかし、人口は現在約700万人くらいで、日本よりはるかに少ない。日本の郊外は住宅の密集地であるが、こちらは広大な土地でのびのびと暮らしているようである。道路も広く、歩道も安心して歩ける。自転車専用道もあるくらいである。首都はマドリッドである。政体は議会君主制であり、17の自治省からなり、それぞれ独自の政府を持っている。自治省はさらに50の県に分けられる。民族構成は、イベリア・ケルト系で、現在のスペイン人はカスティーリャ人、ガリシア人、アンダルシア人、カタルーニャ人、バスク人などで構成されている。バルセロナカタルーニャ州であり、カタルーニャ語スペイン語が混在している。スペイン人でありながらカタルーニャ語を話せない人もいる。宗教はカトリックが圧倒的である。
 スペインの歴史をレポートするなら、このような場では書ききれない。ここは一つ案内書を書き写しておこう。
 ヨーロッパとアフリカの架け橋であるイベリア半島では、古来からさまざまな民族が行き交い、文化の融合が進んだ。ローマ軍、西ゴート軍、イスラム教徒、ハプスブルグ家、フランス、ブルボン朝など、スペインの歴史はこうした外部からの侵攻を受けるごとに大きな転換期を迎えてきた。ローマ属州時代には都市建築技術が導入され、西ゴート族カトリックをもたらし、イスラムは甘美で繊細な美術を、ハプスブルグ家は広大な領土を、そしてブルボン朝はヨーロッパの文化をスペインに供給した。なかでもイスラムは美術のみならず、あらゆる分野でスペインに決定的な影響を及ぼし、多くの遺産を今日に残している。西ゴート王国以降、カトリックの牙城としての道を歩み始めたスペインは711年にアフリカからイスラム軍の侵攻を受ける。またたく間に西ゴート王国は滅亡し、残されたキリスト教徒は北のカンタブリア山脈へと追いやられた。イベリア半島の非ヨーロッパ化の始まりである。しかし、722年、キリスト教徒はレコンキスタ(国土回復運動)という名の再征服を開始する。この戦いは1492年のグラナダ陥落まで約800年間にわたって繰り広げられた。レコンキスタが本格化するのは11世紀以降になるが、この間、それは一時的であったが、キリスト教徒とイスラム教徒、加えて当時イベリア半島に多数住んでいたユダヤ教徒という相反する宗教が共存することになった。コルトバやセビーリャ、トレドはヨーロッパ有数の学芸の中心地となり、アラビア語ギリシャ文学などの古典が学ばれ、ヨーロッパ各国に持ち込まれた。この平和的な協力共存がなければ、ルネッサンスは成立しなかったといわれるほどである。レコンキスタを完了したスペインは大航海時代に突入し、16〜17世紀にかけて黄金世紀を迎える。新大陸が発見され、広大な世界帝国を築きあげた結果、莫大な富がスペインを経由してヨーロッパにもたらされた。芸術擁護も盛んになり、エル・グレコ、ベラスケスといった巨匠が輩出され、不朽の名作「ドン・キホーテ」も生まれた。レコンキスタから黄金世紀へと続く歴史の流れは、スペインという国を理解する上で、もっとも重要な要素といえる。1986年にEUに加盟したスペインは、外貨の導入など活発に市場の拡大を行っている。1992年にはバルセロナ・オリンピックを開催している。以上、JTBのワールドガイド「スペイン」より抜粋した。参考になった。
 時々、このレポートを読み返してはスペインを理解することにする。