鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <36>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <36>
2011年4月28日「バルセロナ日本語で聖書を読む会20年によせて」
 


バルセロナ日本語で聖書を読む集いにおいて、4月16日の礼拝を担当した。5月15日にも担当する予定である。その集いが20周年を迎えているので、記念誌を発行することになり、私にも原稿を求められたので、お祝いとして記した。その原稿を日記にも残すことにした。原稿の内容は以下の通りである。

バルセロナ日本語で聖書を読む集いが、始められてから20年を経たということを示され、驚きと感銘を覚え、そこに神様の絶大なお導きがあることで深く感謝いたしました。外国において、日本人のキリスト教の集会が持たれていることについては、職務柄よく存じていました。私は2010年10月まで、日本基督教団の総会書記として4期8年間の職務を担いました。日本基督教団には世界宣教委員会があり、その委員会を通して世界に宣教師を送り出しています。現在30人くらいを送り出していますが、アメリカ、ドイツ、東南アジア等で宣教師が働いています。ほとんどは現地にある日本語教会の牧師として働いていますが、日本語教会ばかりではなく、現地の教会においても協力牧師としての働きもあるのです。その日本基督教団の会議では、いつも海外で働く宣教師の報告が行われています。多くの宣教師達は、いろいろと苦労しながら宣教活動をしているようです。日本基督教団としても、派遣している以上、資金的にも充分な援助をしたいのでありますが、日本基督教団自身の課題が多いことから、宣教師には応分の援助ができない面もあるのです。
 そのようなことを思いつつ、娘の羊子からバルセロナ日本語で聖書を読む集いの様子を知らされていましたが、自力で集会を支え、20年も続けていることには敬意を表していました。そして、この度、2011年4月4日から5月17日まで、連れ合いの鈴木スミ、二番目の娘・鈴木星子と共にバルセロナを訪問することができました。連れ合いは過去二度ほど来ていますが、私と星子は初めての訪問です。10年前に娘の羊子がバルセロナで生活、活動するようになり、私もバルセロナを訪問するよう勧められていましたが、職務上どうしても困難でした。私は42年間、牧師として働いてきましたが、70歳をもって退任する決意を持っていましたので、2010年3月で退任することになったのであります。ついにスペイン行きが果たせると思いましたとき、4月から9月までの6ヶ月間、牧師のいない教会の代務牧師を求められたのでした。そして10月からはすべての職務から解放されました。教会の牧師、幼稚園の園長、施設の牧師、刑務所・少年院の仕事、日本基督教団の職務等から解放され、ついに念願のスペイン・バルセロナ訪問を果たすことができました。
 バルセロナ日本語で聖書を読む集いの皆さんとお会いし、共に礼拝をささげたとき、私は新約聖書の小教会の群れを思わずにはいられませんでした。使徒パウロが第一、第二、第三伝道旅行をしたとき、それぞれの町に教会が据えられていったのであります。しかし、それは小さな群れでありました。いわゆる家の教会として、少人数の人たちが集まり、主の福音に励まされていたのです。コリントの教会はパウロが宣べ伝えてできた教会ですが、パウロが別の町に移った後は、いろいろな人が来ては福音を示しました。するとコリントの教会の人々は、「わたしはパウロにつく」、「わたしはアポロに」、「わたしはケファに」、「わたしはキリストに」と言って争いが起きたということです。そのとき、パウロは「心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合いなさい」と勧めたのでした。信仰はただ一つ、福音は唯一つなのです、主イエス・キリストの救いの十字架は私たちを一つの群れに導くのです。この基本を持って歩みなさいとパウロは示しています。
 バルセロナ日本語で聖書を読む会には、いろいろな宣教師が集会の奨励をしています。どのようなメッセージでありましょうとも、福音を示しているのであります。この集会が福音の基本をしっかりと受け止めながら、歩まれますようお祈りしています。