鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <27>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <27>
2011年4月22日「パエリャ」
 

今日は聖金曜日であるのに、昼食は「焼きそば」を食べ、夕食は「パエリャ」を食べることになった。受難週の意義を受け止めてないようでもある。羊子が10年前にバルセロナに渡った時、最初は安いホテル暮らしであった。しばらくして祝福の出会いが与えられ、ネウスさんという独身の女性の家に住むようになった。年齢は私と同じである。その頃はアリシア・デ・ラローチャ先生の指示をいただきつつピアノの研鑽をしていたのである。数年間、ネウスさんの家でお世話になったのであるが、その後、羊子は別の住居に住むようになった。しかし、ネウスさんとの交流はその後も変わることなく続けられている。
 もう5年も前になるが、そのネウスさんが日本に観光に来た。その途上、私たちに会いに来てくれたのである。その日、小田急線の中央林間駅で待ち合わせた。初めてお会いするので、どんな人であるのか、打ち合わせもなく待ち合わせたのである。ネウスさんはカトリック教会関係の施設に宿泊で、そこの人に中央林間への行き方を教えてもらったのである。とにかく、外国人だから行けば分かると思って中央林間駅に行ったのであった。車で駅に行くと、既に来ておられ、出口のところにいた。小柄の人であることを羊子から聞いていたので、すぐにネウスさんであることが分かった。声をかけ、名乗りをあげ、喜び合って、大塚平安教会の我が家に案内したのである。ネウスさんは英語も達者であり、むしろ我々はストレート英語であるが、お互いに通じるものである。しばらくお話ししてから、その頃の海老名第一ホテルにある日本料理店「四季」にご案内した。日本料理を喜んで食べておられた。その後、再び教会に戻り、お話を続けた。百合子が整体をしていることを知り、求められてしてあげたのである。夕刻、スミさんと百合子が世田谷まで車でネウスさんを送っていったのであった。
 



ネウスさん特製のパエリャ


もう、そのくらいでと思いつつ



従って、私たちもパエリャをご馳走になりに行くネウスさんとは久しぶりの対面になる。星子の場合は、初めての対面ということになる。夕刻、8時頃に出かけた。地下鉄で行く。降りた駅は電車が各地から集まってくるという。上野駅のようであると羊子が説明していた。やがて、とあるマンションに到着した。立派なマンションで、6階がネウスさんの家である。久しぶりの再会にハグをして頬を合わせて喜び合った。初めての星子を喜んで迎えてくれた。羊子がこんなに良い環境で生活できたことを知り、改めて感謝し、喜んだのである。それならそれで、ずっとここに住んでいればよかったのに。ちょっと、口うるさくてね、とは羊子の弁。用意されていた夕食を早速いただく。こちらに来て、初めて食べるパエリャである。パエリャはスペインの食べ物として日本でもよく知られている。羊子が帰国した時、クリスマスの祝会であったと思うが、ポトラックであったので、作り方を覚えたパエリャを皆さんに食べていただいた。皆さんに喜んでもらったのである。スペインでもバレンシア地方の食べ物であるが、バルセロナでも盛んに食べられている。海老やイカ、貝など海の幸を混ぜたご飯である。まず、ワインで乾杯し、パエリャをお皿にたくさん盛られて食べ始める。もうお腹一杯なのであるが、お皿が空になると、また盛り付けてくれる。しかし、二回目は食べられなかった。こちらの食べ物はくどいと記しているが、ネウスさんのパエリャはそんなにくどくはなく、むしろ日本人の口に合う。続いて野菜サラダが出る。そして、仕上げはカバ(シャンパン)とシュークリームみたいなものとチョコレートケーキであった。コーヒーをいただいて、お腹一杯にいただいたのであった。



ご自慢の香水


 ネウスさんは趣味も豊富で、絵画がいたるところに飾られている。美術館に来た思いである。海外には常に出かけるので、記念の品物、いただいた記念品などが並べられている。数年前にスミさんが訪問した時、お土産に手作りのお人形を贈呈しているが、それも飾られていた。圧巻は香水である。飾り戸棚に1千本もあろうかと思われるほど陳列している。一人住まいが、楽しい生活を生み出しているのであろう。
 聖金曜日なのに、楽しい思いをしてしまった。神様のお導きと受け止めたい。