鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <16>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <16>
2011年4月15日「バルセロナ
 

早いものでバルセロナ滞在10日になる。着いて早々にパリに行き、散歩などしているが、バルセロナ見物はまだしていない。それが目的で来たのではないから、どこに行かなくてもよいのである。羊子は今のところ忙しく、出かけることが多い。いつもの演奏活動に加え、今回は日本の災害、東北関東大震災復興協力コンサートに出演するからである。それも度々あり、スペインの首都マドリッドまで出かけて行き、日本の復興協力コンサートを開くことになっている。誠にありがたく感謝しているし、コンサートに来てくれる人々も、日本の復興を願いつつ演奏を聴きに来てくれるのである。打合せ等忙しく過ごしている。そのため同居している日本人の女性、RMさんが買い物に連れて行ってくれたり、案内などしてくれており、ありがたく思っている。なるべく頼らないで自分達で動かなければならないのであるが。







今日は星子と共に海辺まで散歩した。先日、その海辺に向かって歩いたのであるが、30分も歩くうちに引き返してしまったのである。だから、今日は目的を達成するため、早足で歩いたのである。約1時間も歩いたであろうか、ついに海辺に到着した。この海は地中海である。おだやかな海である。波も静かに打ち寄せている。さすがに泳いでいる人はいないが、浜辺では若者達が三々五々輪になって楽しそうに語らっていた。浜辺の反対側にはヨットハーバーがあり、数え切れないほどのヨットが停泊している。浜辺では全裸で歩いている人がいた。ちょっと驚きである。日本では大騒ぎになるだろう。周辺の人たちは何事もないように過ごしている。

 








1992年にバルセロナ・オリンピックが開催された。開会式が行われたオリンピックスタジアムまで、この浜辺からはかなりの距離であるが、浜辺に来る途中、参加国の旗を掲げるポールが立ち並んでいた。そこにはミロの作である彫刻が飾られていた。立っている海辺からは決して近い距離ではないが、ピカソ美術館、カタルーニャ考古学博物館、ミロ美術館、カタルーニャ美術館民俗学博物館等がある。サグラダ・ファミリアがある新市街は碁盤の目のように道路が整備されているが、旧市街方面は込み入った道路で、歩けば迷子になりそうである。案内されなければ行くことができない。
 



浜辺の近くにカジノがあった。こちらにはパチンコなるものがない。日本にはパチンコ屋が多すぎるのではないか。どこの駅前、どこの町にもパチンコ屋がある。賭け事はどこの国でもあるということである。賭け事といえば、宝くじ屋さんが結構ある。人間が一人入るくらいの細長い小屋が結構建っているのである。念願の地中海の浜辺にたたずむことができ、しばらくしてから帰路に着いた。約1時間歩いたので、再び1時間歩くのである。まだパリの疲れが残っているようで、腿の付け根が多少痛むようになっている。パリでは本当によく歩いた。三大美術館を見学して回るのは、かなり歩くことになる。




 こちらの交差点の歩き方は日本と異なる。日本の場合、横断歩道は道路に並行してある。だからまっすぐ歩いていることになる。こちらの場合、交差点を渡るのに、たとえば左側の道を歩いていれば、そのまま横断歩道があるのではなく、左側に歩いて横断歩道になるのである。なぜかといえば、交差点は三角に削れており、その部分だけ歩くことになるのである。その三角地帯には車が駐車しているか、タクシーはその三角地帯で乗り降りするのである。既に記しているが、交通ルールを守らない人が多い。パリも同じであったが、赤信号でも車が来なければ渡っていくのである。赤信号で待っている我々を、むしろ振り返って怪訝そうに見たりしている。バイクや自動車は信号を守っているが、よほど気をつけなければならないのである。横断歩道の線がひかれているが、その直前に自動車の停止線があるので、横断中でも車が直前まで進行してくる。怖いものである。パリは自動車の停止線がひかれていなかった。交通ルールが行き届いていないという印象である。
 浜辺まで2時間、星子と共に歩き、1万歩を達成している。碁盤のように縦横まっすぐな道なので歩けるのであり、そうでなければ案内もなく歩けないと思う。