鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <15>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <15>
2011年4月14日「昼休み」
 

バルセロナは古代建築に満ちている。単にサグラダ・ファミリアのみが有名なのではない。古代建築の遺産があちらこちらにあるのである。建築にささげたガウディ、美術ではピカソやダリの愛した街でもある。今日は古代建築の名作とも言われるサン・パウ病院を、例によって優しいRMさんの案内で見学に行った。しかし、工事中で入れなかった。古代建築の病院を見学するのであるが、病院は開業しているのである。芸術の部分は工事していて入れないが、並行して造られている建物も病院であり、通院している人々を見かけた。だから、サン・パウ病院の周りを回ったのであるが、サン・パウ病院が古代芸術に優れているので、少し案内書を参照しておこう。
 「現在ではアール・ヌーヴォーとして一般に知られる19世紀末芸術は、国によってさまざまな呼び方をされていた。イギリスではモダンスタイル、ドイツではユーゲントシュティール、オーストラリアではカセッシオン(分離派)、イタリアではリバティ様式などだ。スペインではモデルニスモ、あるいはピカソたちがマドリッドで創刊した雑誌の名前からアルテ・ホベン(新しい芸術)と呼ばれるが、世紀末スペインでもっとも輝き、さまざまな芸術表現が生まれたのは、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方だった。そのため、スペインの世紀末芸術はモデルニスモではなく、カタルーニャ風にモデルニスムスと言うべきかもしれない。1900年前後のバルセロナは、当時の人に言わせると『まるで<るつぼ>のようであった』。」
 「モデルニスモの建築家としてはガウディが有名だが、そのほかにもたくさんの建築家がいた。まず、ガウディとともに世紀末バルセロナを代表する建築家ドメネク・イ・モンタネールだ。(中略)ドメネクの代表作とされるのが、ライエタナ通りから少し入ったところにあるカタルーニャ音楽堂だ。チケット売り場のまわりはモザイクタイルで花模様がちりばめられ、それは2階のバルコニーの柱や壁面へ、さらに頂上の円屋根まで続いている。また建物内部も、こうした模様や曲線的な装飾で埋め尽くされている。これと同じような模様や装飾は、サグラダ・ファミリア聖堂とガウディ通りを挟んで向かいあうサン・パウ病院である。」
 

サン・パウ病院。観光案内書よりコピー


サン・パウ病院を外から見物しても案内書で説明されるような装飾や模様を見ることができる。中に入らなくても見学したことになる。それにしても病院が観光対象であるということ、いろいろな人が出入りして感染予防を考えないのだろうか。外国人が訪れるのであるから、その辺りの対策をしなくてよいのだろうかと思った。
サン・パウ病院は山側であり、行く時はゆるい坂を上がっていく。しかし、病院辺りからは傾斜が強くなり、上がるのは大変のようである。急な坂道に信号があり、停車して、発信する時はかなりアクセルを踏み込む必要があるのではないかと思ったりもした。帰りはゆっくりと下り坂を歩いて来たが、お店を開店し始めている。というのは、午後2時から4時頃まではお昼休みであり、会社関係や店関係は休みなのである。会社勤めの人は家に帰って食事を取り、一休みしてから出勤するのだそうだ。そういえば、サン・パウ病院に向かうのは4時前であり、テラスのテーブルはがら空きであった。店も閉まっていたからである。もっとも開いている店もあって、そういう店にはお客さんがいた。病院から帰ってくる頃は店も開店していた。これからお客さんが来るのであろう。こちらも外にテーブルが並んでおり、外の木陰の下で楽しく食事を取るのだろう。歩いている道は歩行者専用の道であるが、かなり広い道である。その道の中央にテーブルが並んでいるのである。



バルセロナの街は、遥かに見える山の方からゆるい下り坂になっている。
山の方に歩くとサン・パウ病院である。歩いても30分くらいである。



それにしても2時間も昼休みがあるのには驚きである。日本では考えられない。在任中の頃、お昼の食事を取ったら、休みもなく仕事についていた。いつも仕事に追われていたのである。こちらの場合でも、仕事は忙しいだろうが、2時間も休むゆとりを持って働いているのである。そういうゆとりは日本人にはない。日曜日は全く休みだし、常にゆとりを持ちつつ生活しているのである。午前7時の夜明け、午後9時の夕暮れがそのような人間性を生み出したのかも知れない。