鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <12>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <12>
2011年4月11日「東北関東大震災被災者追悼式」
 


次第にバルセロナの生活習慣になれてきた。この日で滞在一週間である。午前7時頃に目が覚めたが、まだ薄暗い。トイレに行き、水を飲んで再びベッドに横になったら寝てしまった。9時30分頃に起床した。10時に朝食である。朝食、昼食、夕食の観念が薄らいでいる。昨日やってきた犬たちはまだこの家にいた。犬も一緒に人間と寝ている。羊子の後をいつも4頭がついて歩いている。
 今日は11日である。3月11日の東北関東大震災から一ヶ月を経たということである。スペイン・バルセロナにある日本領事館が追悼式を行うというので、午後1時30分頃出かけることにした。会場はセルバンテス・パルケ、通称バラ公園である。羊子は用事で後から来ることになり、RMさんに案内されてバスで向かった。RMさんには頭が下がる。バルセロナでバスに乗るのははじめてである。車窓の街並みを眺めることができた。バスは車椅子で乗れるように、乗降口の下から桟橋が出てくる。そして中には車椅子を固定するベルトがついている。日本にもあるであろうが、あまり見かけない。バルセロナバリアフリーに見習うべきである。バスと言えば、展望車のバスについては既に記しているが、バスが2輌つながっているものもある。バスとバスの間は、日本の電車のようにジャバラになっている。2台分だから、かなり長く、大勢乗れるのだろう。約30分バスに乗り、そこから少し歩くのであるが、RMさんも初めての場所であり、道行く人に尋ねていた。しかし、教えてくれる人は皆違う方角を示している。それでも3人の人が同じ方角であったので、その方角を信用してバラ園に向かう。正解であった。バラ園の入り口でSYさんに初めてお会いした。バルセロナ聖書を読む会の中心メンバーである。この方については羊子から人柄なりを聞いている。SYさんはすぐにスミさんの車椅子を押してくれた。積極的な方である。後で聞いたお話によると、金沢キリスト教会で洗礼を受けられたと言われる。私の家の比較的近いところにある。かなり昔からある教会なので私もその教会を知っている。日本基督教団ではなく、比較的熱心と言われる教派でもある。羊子が親しくお交わりをしている人が、こんなに近い人だとは、神様のお導きなのか。羊子も聖書の会に出席しており、バルセロナ滞在中に、私は2度礼拝の担当を依頼されている。
 

暑い日差しの中で参列する皆さん


午後2時30分頃に会場に着いた。まもなく羊子も到着した。追悼式は既に始まっていた。着いてまもなく黙祷がささげられた。午後2時46分である。二人の方が追悼の辞を述べた。その後、記念碑が建てられている横に記念のバラの木が植樹された。追悼の歌が歌われた。何とKAさんである。ドレーパー記念幼稚園の卒業生であり、私が園長として送り出した子である。バルセロナに来て、羊子がお世話してあげたので、一時帰国したとき、母上と共にご挨拶に来られた。その後、再びバルセロナで声楽活動をしているようである。カタロニアの歌で「鳥の歌」と日本の「桜」を歌った。これで追悼式は終わりである。KAさんは私たちを見ると驚いたようである。一緒に記念撮影をした。スペイン・バルセロナの地で、3.11の追悼式に臨めたことを感謝したい。参列した人たちは日本人も多くいたが、日本の災害に心を痛めるスペインの皆さんなのである。参列者の中には着物姿の婦人もいた。皆さんには心から御礼を申し上げたい。参列した人たちは50人くらいであろうか。暑い日差しの中で立って式に臨んでいたのである。私たちは暑さになれていないので木陰で参列したのであった。バラ園だから、いたるところに種々のバラが咲いている。よいところに記念碑が建てられ、植樹されたと思う。
 


ショウノスケバラ(日本の自生種)が植樹される



碑文には次のように記されている。
「2011年3月11日、地震津波によって犠牲となったすべての
日本人の方々の悲劇を決して忘れないために」
2011年4月11日、バルセロナ



この日、日本でも当然のことながら追悼式が行われたと思う。スペインに来て、テレビで日本の報道は、もはやあまり報道されなくなっていると言う。災害発生時は大きく取り上げられ報道されたのである。日本でも外国の災害発生時は大きく取り上げるが、日が経つと、あまり報道されなくなるのと同じである。新聞も読めないし、日本のことは残念ながら分からないのである。しかし、羊子がインターネットで報道を調べてくれるので、少しは様子が伝わってくる。遠くに来てしまったが、日本の復興を心から願いお祈りしているのである。


静かなバラ公園