鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <2>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <2>
2011年4月4日 「フライト」

成田飛行場を飛び立ち、一路フランクフルトに向かった。気流の関係で到着が遅れた。16時35分に到着の予定であったが17時を過ぎていた。そのため、バルセロナ行きの飛行機に間に合わず、次の便になるという機内での案内があった。次の便は21時10分である。4時間も待つことになる。しかし、それくらいの時間があったほうが良かったかもしれない。次の乗り換えの準備があるからだ。フランクフルトについて、まず羊子に連絡しなければならない。百合子が私の携帯電話をグローバルに設定したのだが、ここはドイツであり、スペインへの電話のかけ方がわからない。星子がメールで連絡したが、届いているか案じる。スミさんが案内係りの所に行き、バルセロナの羊子の電話番号を示し、電話をかけたいと述べている。係員は公衆電話に連れて行き、かけてくれた。羊子に電話でつながり、飛行機が遅れたので、バルセロナ到着が遅れることを伝えることができた。これで羊子は到着した飛行機に乗っていないので心配することはなくなった。羊子に連絡ができたので、すぐに出国手続きに入った。トランジットなので、その手続きをしなくてもよいのかなと思っていたが再びするようである。また荷物や身体検査を受けた。ここでは足の裏まで検査していた。その後、インフォメーションを見て搭乗口付近で待つことにした。しかし、飛行機が異なるので、持っているチケットでよいのかどうか係員にチケットとパスポートを示しながら聞いた。通じたのかどうか、ここで待つようにということであった。それからしばらくして再び尋ねたが同じであった。こちらで尋ねていることが通じてないようである。
 いよいよ搭乗である。ルフトハンザ航空である。チケットを見せると、チケットがちがうことを知ったようだ。そのチケットは前の便のものであり、座席指定は異なるのである。それで急いで新しくチケットを作ってくれた。二回も尋ねたのはこのことであったのに気がつかなかったようである。もはや搭乗者はここにはいない。係員が飛行機に連絡して、まだ乗客がいることを告げているようだ。そしてようやくチケットが作られ、我々も搭乗することができた。飛行機の一番後ろの席であり、空席がいくつかあったので、客室乗務員がどこでもよいから座るようにということであった。この際、スミさんの腰の具合については言えなかった。
 フランクフルトからバルセロナまで約2時間である。23時05分頃に到着した。まず荷物を受け取ることである。荷物の出るところを探したが成田からのインフォメーションはなかった。いくつかの荷物出口を探したが見当たらない。羊子が待っているので、スミさんを先に出口から出した。なおも星子と探したが見つからないのである。星子が案内所に行き、荷物について尋ねているので私もそこに行った。荷物の預り証を見せるように言われたので提示する。コンピューターで調べてくれた。するとブリッジケアーにあるという。そこに行ってみるとフライトケアーと書いてあった。預り証を示すと、すぐに荷物を出してくれた。成田からの飛行機がフランクフルトに遅れて到着したが17時を過ぎており、しかしバルセロナ行きの飛行機は17時40分なので、荷物は乗り継ぎがすぐに行われたのである。人間は出国手続きがあるので間に合わないということである。だから荷物だけは先に到着しており、持ち主が取りに来ないので保管していたというわけである。
         
                    羊子の家からバルセロナ市街地を望む


荷物をカートに載せて出口を出ると、羊子が手を振りながら駆け寄ってきた。星子とハグをし、続いて私ともハグをした。そこには出迎えの人が大勢いて、東洋人のぎこちないハグを珍しそうに見ていた。羊子が出席し、オルガンの奉仕をしている教会の信者マヌエルさんが車を出してくれており、その人のお世話をいただきながら羊子の家に着いた。飛行場から約30分くらいである。羊子の家に入り、簡単に荷物を片付け、用意してくれた食事をいただく時、どっと疲れが出てきた。また、ほっとした思いである。食前のお祈りは旅の無事とこれから始まるバルセロナ生活のためであり、与えられた食事の感謝を捧げたのである。日本から、やはり遠いバルセロナである。