鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <1>

      
スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <1>
2011年4月4日 「旅たち」
 

かねてよりスペイン・バルセロナ訪問を頭に入れながらも、なかなか実現できなかったが、このたび念願がかなった。娘の羊子が10年前よりスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているからであり、連れ合いのスミさんは既に二回も訪れているが、私の訪問がようやく実現に至ったのである。今まで実現できなかったのは当然のことであるが、教会の牧師であり、幼稚園の園長、施設の牧師、日本基督教団の書記等の職務を担っていたからである。2010年10月より、すべての職務が終わったので意を決したのである。当初は2010年11月に行く予定であったが、関係者の牧師就任式等があり延期していたのである。しかし、いつまでも日本における関わりを引きずっていると行くことができない。この際、自分の都合において予定を決めたのであった。いよいよ私が、連れ合いのスミさんと共にスペイン行きの日程を皆さんにお話しすると、皆さんは喜んでくださり、今まで行かれなかった理由を知っているので、一様に喜んで下さるのであった。
 しかし、4月4日からの旅立ちにあたり、2月初めに航空券を求めたのであるが、2011年3月11日に未曾有の東北関東大震災が起き、旅行計画をどうするかと言うことであった。日本のこのような状況の時に、観光ではなく娘を訪問することであるとしても、重い決断を迫られたのである。いろいろと思案したが、やはり決行することにした。今、行かなければ機会を逸してしまうかも知れないと思ったからである。年齢的にも71歳になっており、まさに今がその良い機会と思ったのである。
 4月4日、ついにその日がやってきた。フライトは10時20分、成田空港からスイス航空で出発し、チューリヒ経由なので15時50分に着き、そこから17時20分に出発して、バルセロナには19時05分に到着する予定であった。しかし、直前になってHIS旅行社から連絡が入り、同飛行機はキャンセルが多く、そのためフライトもキャンセルとなったということである。その代わりスイス航空で手配をしてくれた。11時25分、全日空で出発し、フランクフルトに16時35分に着く。そこからルフトハンザ航空で17時40分にバルセロナに向かい、19時35 分に到着というフライトになった。従って、出発は成田発が1時間遅れとなり、バルセロナ到着は20分遅れということになった。羊子にはすぐに連絡しておいた。羊子は我々の慣れない外国旅行に対して、細かく指示を与えてくれた。搭乗手続きの仕方、飛行機の乗り方まで、一つ一つ注意を与えてくれていた。
 4日は午前4時に起床。5時30分、家を出発した。私の車はグロリア2500でかなり大きいのであるが、スミさん、星子、私の荷物をトランクに入れるのはようやくであった。百合子と弥生が成田まで送ってくれることになり、手荷物を含めるとかなりの重量であるが大丈夫そうである。成田飛行場には7時30分に着いた。早く着いたので朝食をとり、搭乗手続きをした。9時30分、まだ早いのであるが出国手続きをする。11時25分、フライトは少し遅れて飛び立った。搭乗手続きの際、スミさんが腰が悪いので、足が伸ばせる楽な席を求めた。そのように手配してくれたので、席は前に座席がない部分である。つまり中央の部分に乗務員室があり、それより前はビジネスクラス、それより後ろはエコノミークラスになる。その一番前の中央に席を取ることができた。中央は4席、両端は3席ずつになっている。スミさん、星子、私と座り、私の隣は女性であった。ところが、その女性は隣が男性であることはいやであると星子に伝えたので、隣にはスミさんが座り、星子、私というように座った。客室乗務員が搭乗手続きの係りから連絡を受けていたので、いろいろと気を使ってくれ、様子を聞きに来てくれた。親切な対応である。スペイン行きは、できれば全日空でとスミさんが願っていたが、割高でもあるのでスイス航空で行くことにした。しかし、結果的には全日空となり、願い通りになったわけである。チューリヒにも寄ることにも期待があったが、フランクフルトでも良い。ドイツもスイスも行った事がないからである。