鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

最終礼拝( 賜物を生かしなさいと )

 
 本日は2010年度の最終礼拝になります。最終礼拝ということで、心に示されることは昨年の大塚平安教会における最終礼拝です。2010年度の最終と共に私の大塚平安教会における最終礼拝でもありました。30年6ヶ月間の牧会でしたが、退任へと導かれたのです。70歳でした。かねてより70歳になったら退任を決意していました。牧師になって40年になり、聖書的にも導きの数字でありました。最終礼拝には大勢の皆さんがご出席くださり感謝しています。スペインにいる羊子も帰国し、大塚平安教会最後の礼拝に出席し、奏楽を担当しました。奏楽と言えば、いつの間にか星子や百合子も部分的に奏楽に加わり、花を添えてくれたことは、私ども夫婦にとって最上の喜びでした。思えば40歳のときに就任しました。宮城県の陸前古川教会で6年半の牧会をしていましたが、お導きのもとに大塚平安教会に赴任することになったのでありました。高齢になりつつある両親の近くに赴任できたことも感謝でした。教会に赴任すると共にドレーパー記念幼稚園の園長に就任し、学校法人大塚平安学園の理事長にも就任することになり、さらに綾瀬ホームやさがみ野ホームの嘱託牧師にも就任することになりましたので、今まではのんびりと教会の職務を担っていたのですが、とたんに忙しくなりました。しかし、まだ40歳であり、いろいろな人々との出会いの中で牧会が導かれてきたのであります。教会の牧会を担いつつも神奈川教区の書記、副議長、議長を担いました。そして教団の教師委員会委員を担い、最後は教団書記として8年間も担うことになりました。大塚平安教会の職務と共に教区や教団の職務を理解をもって活動させてくださり、本当に感謝しています。皆さんのお祈りの支えであると思っています。最終礼拝の講壇に立つときにも、それらのことを示されながら最後の説教を担わせていただきました。
 礼拝後は幼稚園の庭で記念撮影を致しました。その時の写真を飾っていますが、毎日のように写真を見つめては皆さんを思いうかべているのです。3月はまだ寒いというのに、皆さんのご出席には心から感謝しています。写真には若い人たちが多くおられ、今後の大塚平安教会を担う皆さんとして受けとめています。その後、幼稚園ホールで送別会が開かれました。食事は私達夫婦の希望でもあるポトラックにしていただきました。皆さんは美味しい食べ物をご持参くださり、ホールの中央に並べてくださいました。今までクリスマスやイースターの祝会では、ポトラック方式で食事をいただいておりました。少しずつ、一通り食べるにはお腹いっぱいになります。せっかくご持参いただいたのですから、全部を食べるつもりでいたのですが。私がお皿を持ってお料理取りに行くと、ご自分の作られたお料理をお皿に載せてくださるのでした。皆さんがそうするものですから、お皿は山盛りになってしまいました。
 皆さんの心にしみるお言葉をいただきました。聖歌隊が私と連れ合いのスミさんの愛唱讃美歌をうたってくださり、一緒に歌わせられたのでした。私は讃美歌21の567「ナルドの香油」、スミさんは57「ガリラヤの風かおる丘で」を、二人の讃美歌として522「キリストにはかえられません」を歌ってくださいました。
 陸前古川教会に転任を申し出たとき、一人の婦人がつくづくと言われたことが忘れられません。「先生はこのような地方の小さな教会ではなく、都会に出て大きな働きをするべきです」と言われて送りだしてくださったのです。まさに都会に出てきて、大きな働きをしたと思います。神様が私を大塚平安教会に遣わし、幼稚園や施設の職務を担わせ、それと共に教区・教団、刑務所や少年院、保護司等の職務をも担わせてくださったのです。これは神様に託された私の働きでした。今は、神様の託された職務を振り返っているときなのです。出会いの皆さんをいつも示されています。祝福があるようにと祈っています。
<聖書の言葉>
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
(ペトロの手紙<一>4章10節)