鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祝電・結婚式( 主はそばにいて力づけ )

 
 この二日間、卒業式や入学式の祝電について記しました。大震災のため、卒業式は簡素に行う学校が多いようです。学校が避難所になっており、その中で行われた卒業式が報じられていました。感無量で卒業証書をいただいたということです。
 ところで3月は結婚式も結構行われるようですが、その辺りの事情については良く分かりません。今まで結婚式の祝電を送ったという思いはあまりありません。結婚式は、ご案内があれば出席するからであります。結婚式から葬式のことに触れるのは不謹慎ですが、葬式における弔電は常々考えさせられているのです。葬式において弔電が読まれ、発信者のお名前も紹介されます。ですから葬式に列席しなくても名前は紹介されるのです。大切なのは列席されている皆さんであります。故人の死を悼み、列席しているのでありますから、むしろ列席者を紹介するべきで、弔電は家族が読めば良いのです。それに対して結婚式の祝電は読まれても問題を感じません。なぜなら披露宴に臨むとき、出席者がどこに座るか配置表を渡されるからです。それにより、今日出席している人は新郎新婦とどのような関わりなのかを示されるのです。その上での祝電ですから、祝電のお名前を微笑ましく受け止めるのです。
 ところで結婚式の祝電について、私達夫婦もいただきました。もう42年も前になります。実は3月21日が私達夫婦の結婚記念日でありました。同窓会のこと、卒業式、入学式について記していましたので、書き遅れてしまいました。その時、いただいた祝電の一つが忘れられません。その方は北海道の教会の牧師です。この先生との出会いは不思議な導きがありました。私が神学生として2年生になったとき、その先生の教会に夏期伝道に行きました。この教会の出身神学生が同級生でありました。夏休みは夏期伝道として帰って来るように彼に勧めたのでした。しかし、彼は都合で行くことができず、私に行くことを勧めてくれたのでした。8月の一ヶ月間、北海道の教会で夏期伝道の実習をしたということです。特に中学生達との触れ合いを多く持ったのでした。その後、一年を経たとき北海道の冷害があり、新聞のコラムでその先生が救済を訴えました。全国から救援金が送られたのです。そのため資金をどのように分配するか、調査する必要がありました。その調査を神学生に求めて来たのでした。丁度春休みであり、他の神学生と現地に赴いたのでした。その先生の社会的活動について示されることが多く、既に天に召されていますが、今もご存命であるなら、この度の大震災で大いなるお働きをされたと思っています。
 その先生が下さった祝電です。「レントのさなか船出する、主の働き人に幸多かれと祈る」との祝電をいただいたのでした。まさに主のご受難を仰ぎ見つつ結婚し、伝道者としての船出を致しました。東京の青山教会で4年間、宮城県の陸前古川教会で6年半、在任中は登米教会で1年間の兼牧、そして神奈川県の大塚平安教会で30年半、横浜本牧教会で半年間の代務者を担いました。多くの皆さんとの出会いが与えられました。喜びの時が多く、悲しみの時も多く、苦しみの時も多く、常に祈りつつ連れ合いのスミさんと共に牧会を担ってきたのです。牧師が不在であれば、連れ合いが電話の応対、来客の応対をするのです。牧会的な応対でなくても、牧師の連れ合いとしての応対ですから、やはり牧会になるのでしょう。牧師のパートナーという言い方がありますが、まさに共に牧会を担っているということです。大塚平安教会にあってはドレーパー記念幼稚園の園長であり、学校法人大塚平安学園理事長、社会福祉法人綾瀬ホームとさがみ野ホームの嘱託牧師、八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員、日本基督教団総会書記等を担いつつの牧会でしたが、連れ合いのスミさんと共に担ったということなのです。私達「主の働き人」は、まさに「幸多い」歩みであったことを報告致します。
<聖書の言葉>
わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
(テモテへの手紙<二>4章17節)