鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

巨大地震(8)( 霊の結ぶ実は節制であると )

 
 東北関東大震災が発生し一週間が経ちました。今日は午後2時46分、被災地の皆さんも日本中の皆さんも黙祷をささげました。死者・行方不明者17000人にもなるということ、大変悲しいことです。亡くなられた方々を神様が天国において平安を与え、被災者の皆さんにはお導きとお恵みがありますようお祈り致しました。
 時がたつと共に被災地の道路の整備、港の整備が進み、救援物資も徐々に届けられているようです。困難な生活が少しでも改善されるようお祈りしています。それと共に私達もできるだけ倹約して生活することが求められています。震災前の生活は、電気は自由に使っていました。いかに無駄が多かったかを示されるのでした。時々、トイレの電気を消し忘れており、いつも連れ合いのスミさんに注意されていました。今は、トイレから出るとスイッチを切ることを手差しをしながら確認しています。夕刻になって、早々と室内の電気をつけていましたが、外が暗くなるまで、外の明かりを頼るようになりました。人がいない部屋は必ず電気を消すことです。こんなことは大震災が起こらなくても必要なことなのです。エアコンは使っていません。石油ストーブをある程度つけ、部屋が暖かくなったら消すようにしています。
夕刻、散歩に出ましたら、ガソリンスタンドに給油待ちの車が延々と並んでいました。金沢八景方面から16号線で来ると「信号・六浦中学」がありますが、そこにガソリンスタンドが二店あります。一店は売り切れで閉鎖していましたが、一店のスタンドには車が金沢八景駅付近まで並んでいました。何時間も待つのでしよう。知人によれば3時間も待ったといいます。待って給油できれば良い方です。待っても給油ができなければ、本当に無駄な時間になってしまいます。それにしても、普段の生活で車の使用が多すぎることも反省しなければなりません。歩いても行かれるところも車を使用するのです。銭湯に時々出かけますが、結構車で来ています。そんなに遠い所から来ているのでしょうか。
 大震災が起きる前に給油し、満タンにしたばかりですので、今は給油の必要がありませんが、当分この状況が続くので、なるべく車は使わないようにしています。連れ合いのスミさんの病院の送り迎えをしていましたが、自転車に乗って行くようになりました。本来、スミさんの自転車走行は慣れたものですが、昨年の3月末に引越しの準備中に転倒し、腰を打ったので、以来腰痛で自転車には乗れませんでした。最近、乗り始めたのですが、やはり不安があるようで、あまり乗りませんでした。私が車で送り迎えしていたのです。しかし、大震災で世の中が混乱していますので、自転車に乗るようになりました。これで車を使うことが少なくなります。実は来週の21日、春分の日に、ドレーパー記念幼稚園の同窓会が開かれます。午前は小学校を卒業する子供たち、午後は中学校を卒業する子ども達が、再び幼稚園にやってきます。連れ合いのスミさんも、子供たちや保護者の皆さんと親しく過ごしましたので、一緒に車で行くつもりでいました。しかし、綾瀬市往復はかなりのガソリン消費です。そのため電車で行くことにしたのです。それから4月4日にスペインにいる羊子のもとへ行く予定は、やはり行くことにしました。その時、私どもの子供に成田飛行場まで車で送ってもらうことにしていたのですが、これも電車で行くことにしました。
 この度の大震災は悲しいことであり、国を挙げて復興に取り組んでいます。それと共に、私達は日常の生活が豊かであり、その豊かさに埋没していことを反省しなければならないでしょう。物資の不足は改めて倹約を教えてくれています。車に頼り、ライフラインにしても使えるのが当たり前と思っているのです。今は私達自身が倹約し、不足を我慢し、被災地の人々への協力、応援としたいのです。被災地の皆さんには、どうぞ頑張って救援をお待ちください。
<聖書の言葉>
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。キリスト・イエスの者となった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
(ガラテヤの信徒への手紙5章22節、23節)