鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ひな祭り( 生ける神に立ち帰るようにと )

 
 今日の3月3日は「ひな祭り」と言うことで、「明かりをつけましょぼんぼんりに」との歌が、テレビから聞こえ、道を歩く子どもたちが歌っていました。いろいろな場でお祝いがあるのでしょう。特に幼稚園や保育園では、そういうお祝いをしたことでしょう。老人を招いたり、老人ホームを訪問したりするところもあるでしょう。ところで、ドレーパー記念幼稚園に在任中、「ひな祭り」だけは避けました。雛人形も作ることはしませんでした。世の中が雛人形を飾り立てているのに、当幼稚園はひな祭りを楽しみ、作ることもしなかったのです。子ども達の夢をそいでいるとも批判されていたでありましょう。それでいて、「豆まき」はしていました。それに対する園長の姿勢は2月3日の日記に記しています。また、五月の「鯉のぼり」は作っています。年長組になると、クラス全体で大きな「鯉のぼり」を作り、園庭のポールに結んで泳がせるのでした。
 雛祭の起源については、いくつかのルーツがありますが、雛壇飾りの祭りごとは、宮中から始まったようです。貴族の女の子たちが、お人形を作って遊んでいたのですが、いつの間にか天皇、皇后を中心とする人形になって行ったということです。そして三人官女は宮中に仕える女官になります。これは雅の世界であり、宮廷風、都会風を意味することなのです。要するに上流社会の真似ごとでもあります。それが天皇、皇后を中心とするということでは、どうしてもお祝いする気にはなりません。天皇制を否定しているのではありません。日本の国は、そのような社会でありますが、天皇は象徴なのであり、天皇を目的とする社会ではないのです。雛祭をするうちにも、天皇を目的とするようでは困ることになるのです。
 キリスト教主義幼稚園として、ただ神様の御心をいただき、イエス様の教えを土台としての成長を励ましているのです。そのようなことを知らない新任教師が、子どもたちと雛人形を作り始めたことがありました。楽しく作業をする子どもたちに、それは駄目だというのはかわいそうです。新任教師と相談して、内裏雛ではなく、お父さんやお母さんを折り紙で作りましょうということに変えたのでした。また、「園のたより」にはクラスだよりを書くのですが、3月号には、ついお雛さんの絵を書いてしまう先生がおり、訂正してもらっていました。卒業生の保護者から、特に祖母にあたられる方から、雛人形一式を幼稚園に寄付したいとのお申し出をいただくこと、何回もありました。家では子どもたちも大きく成長し、もはや雛人形を飾る機会もなくなっています。処分するには思い出の詰まったお人形さんです。ここは幼稚園で毎年飾ってくれれば大変うれしい、と言うことになります。せっかくのお申し出なのですが、丁寧にお断りしていました。そうは言うものの、「雛あられ」くらいは食べましょうと、きれいな色のあられを食べていました。
 今、世界は独裁者と闘う民衆が報道されています。現代の独裁者というテーマで特集しているテレビもありました。一人の人間が、意のままに国を支配すること、あってはならないことであります。独裁者は私腹を肥やし、それに対して民衆は貧しく生きているのです。世界には独裁国家が10を超えてあるということです。そのトップが北朝鮮であると報道していました。日本の国も独裁の歴史をたどりながら歩んできたのであります。それが天皇を絶対とする国家であり、天皇のために戦争に出かけて行ったのであります。二度とこのようになってはいけないのであります。なにも雛祭がごときで、そのように考えるのではなく、素朴にひな祭りをお祝いしたらよいのではないか、と言われるのでしょうか。
 桃の節句と言われますように、桃の花の季節になりました。我が家の桃の木の枝も、随分と花が膨らんで来ました。雛祭、桃の節句は季節の変わり目でもあるのです。
<聖書の言葉>
わたしたちもあなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。
使徒言行録14章15節)