鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

アクセス30000( いつまでも残るようにと )

 
 ブログのアクセスが30000になりました。3月1日の夕刻、自分のブログを開きましたら29999でした。だから、改めて開いて30000にしたのです。自分で30000に到達させたのには気が引けますが、自分ながらこの数字を驚き、また感謝しています。皆さんが、わざわざ開いて読んでくださっていること、心から感謝申し上げます。
 このブログは毎日朝の9時頃に昨日の日記を入れるようにしています。前日の夕刻から夜にかけて、一日を振り返りながら記しておきます。翌日の朝、改めて読み直し、サイトに入れるのです。この30000は、昨年9月末から「鈴木伸治によるブログ日記再開」として公開するようになりましたが、2006年6月1日に書きはじめたときからのアクセスになります。2007年3月25日をもって止まってしまいました。そして2010年9月25日に再開し、現在の30000のアクセスになっているのです。最初に書きはじめたのは、私の思いよりも、勧められてのことであり、当初は乗り気ではなかったのですが、はまってしまったというわけです。今のドレーパー記念幼稚園の園長が、幼稚園に勤め始めて、牧師として園長として、ブログを書くことを勧めてくれました。既にブログは立ち上げてあるので、後は書くだけだというのです。しばらく忙しさを理由に放置していたのですが、なんとなく書いてみるかと、向かい始めたのでした。それが2006年6月1日のことでした。「牧師・園長の日記」として毎日書いているうちに、どうやらはまってしまい、毎日書かなくても良いのではないかと言われても、毎日書くようになりました。教会の歩み、幼稚園のこと、人々との出会い等、書いて置くべくことが次々に示されるのです。しかし、書いているうちに行き詰ってしまうこともあり、そのような場合には、日曜日毎にテレフォンメッセージを入れていましたので、その原稿をブログに載せたりしました。また、昔、週報の一面に牧会詩を記していましたので、それらを乗せて行き詰まりの打開としました。1995年12月29日から1996年1月7日まで聖地旅行をしており、その時の日記は発表していませんでしたので、ブログをもって聖地旅行記を発表したのでした。しかし、2007年3月25日をもって断筆としました。書かなくなった時、忙しい日々なのによくも書き続けたなあ、とつくづく思ったものです。
 2010年3月をもつて大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長を退任しました。しかし、4月からは横浜本牧教会代務者、早苗幼稚園園長に就任しました。そして、大塚平安教会に後任の牧師が10月に就任するまで、綾瀬ホームやさがみ野ホームの礼拝は引き続き担当していました。さらに学校法人大塚平安学園理事長も担っていたのです。そして、10月には、それらの職務がすべて終わったのです。9月になって、10月からはすべて職務から解放されるので、ブログを再開しようかと思い始めました。そして2010年9月25日、ついに再開したのでした。10月からは第一日曜日は横須賀上町教会の礼拝を担当することになりました。さらに、六浦谷間の集会として、自宅で礼拝をささげるようになったのです。従って、毎週日曜日の説教は用意しています。今のところそれが大きな日課ですが、だからブログを書くことも日課となり、毎日暇にまかせて書いている訳であります。3月まで書けば6ヶ月書き続けたことになります。実は4月と5月はお休みにしようと思っています。4月4日から5月18日まで、娘の羊子がスペインのバルセロナでピアノの演奏活動をしているので、一度は来てもらいたいと言われているのです。連れ合いのスミさんは過去二回も訪れているのです。スペインにいてもブログに入れることはできるのですが、少しお休みにして、軌道修正をすることにしました。
 今日はアクセス30000に対する感謝を記しています。私の生きざまを通して、皆さんの参考になればと書いているのです。もう少し書き続けるでしょう。
<聖書の言葉>
わたしの言葉が書き留められるように、碑文として刻まれるように。たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され、いつまでも残るように。わたしを贖う方は生きておられる。
ヨブ記19章23-25節)